『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その39
第9回 決戦前夜
伊東祐清(竹財輝之助)について
祐清は、頼朝監視役伊東祐親(浅野和之)の息子でありながら、微妙な動きをする人物だ。
祐清は系図にもあるように、比企尼(草笛光子)の娘を娶っている。比企尼と言えば、これも以前書いたように源頼朝(大泉洋)の乳母。伊豆に流された頼朝を20年の間、支えた頼朝の恩人だ。その人物を義母に持ったことが、祐清の行動原理になんらかの影響を与えていたと思われる。
また、頼朝が伊豆に配流となった時、その監視役となったのが父祐親。頼朝は流人と言っても、牢屋に監禁という形ではなく、比較的自由な生活だったと言われているので、祐清ら祐親の子供たち、親戚たちとも交流があったと思われる。
また、北条時政(坂東彌十郎)が祐清の烏帽子親とも言われ、だとすると時政の子供たちとも幼い頃から交わりがあったと思われる。ドラマの中では、北条宗時(片岡愛之助)が、「何か動きがあったら教えてくれ」と祐清に頼んでいる場面があった。頼朝の命を狙う祐親を父にもつ祐清に情報をくれと言う宗時は、少しノー天気すぎる描き方だが、血縁を考えると幼馴染同士、気心が通じたもの同士、あってもおかしくはないだろう。
父祐親が京都の大番役で留守の間、頼朝と妹八重(新垣結衣)は結ばれ、千鶴丸をもうける。頼朝の比較的自由のある流人生活、監視役祐親の家族との交流を考えると当然の帰結ともいえる。京都から戻った祐親は、平家のお咎めを恐れ、千鶴丸を川に沈め、さらに頼朝の命までをも奪おうとした。その時、祐清は頼朝に急を知らせ、烏帽子親である時政の元に逃れるよう薦めた。頼朝は祐清によってその命を長らえることができた。また、祐清によって頼朝は政子を娶ることになったと言っても言い過ぎではないと思う。
鎌倉入りした後、祐親と祐清は頼朝に弓引くものとして捕えられた。祐親はすでに見たように、義理の息子である三浦義澄(佐藤B作)の元に預けられた。ドラマでは描かれていないが、頼朝は祐清を命の恩人として、その命を救い、さらには褒美まで与えようとした。
祐清は、父祐親が頼朝に敵対した以上、子である自分は褒美を受け取るわけにはいかないと頼朝の元を去り、平家に身を投じて、合戦の中で死んだ。祐清は、一本筋の通った武将と言えるのでは無いだろうか。
また、工藤祐経(坪倉由幸)が父祐親との所領紛争の末、兄祐泰を射殺した時、残された二人の遺児を預かり育てたのが祐清。この二人が、後に父の仇として祐経を討つ十郎祐成・五郎時致兄弟である。
1193(建久四)年5月28日のことである。