『鎌倉殿の十三人』〜後追いコラム その38 | nettyzeroのブログ

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『鎌倉殿の13人』〜後追いコラム その38
第9回 決戦前夜
 今回は、血縁について。

 追討軍をたった二人で退散させた北条時政(坂東彌十郎)と三浦義澄(佐藤B作)(笑)。彼らは親戚として描かれているが、他にも観ているだけでは人間関係がよく分からない人物もいるのではと思い、生捕りとなって最終的に三浦義澄にその身を預けられた伊東祐親(浅野和之)を中心とした伊豆、相模の武士たちの血縁を系図で見てみたい。
 

(系図中「=」は婚姻関係を示す)

                                                                     

 わかりやすいように系図中の( )内には、役者名を入れた。土肥遠平だけ人物の説明。遠平はこれからも登場しないのだろうが、土肥実平(阿南健治)の子。実平の兄弟(姉?妹?)は伊東祐親に嫁いでいる。つまり、遠平はおばさんの娘を妻とした。遠平は石橋山敗戦後、しとどの窟に潜んでいた頼朝(大泉洋)の命を受け、政子に無事を伝える使者となった人物。番組では、仁田忠常(高岸宏行)が使者だったが・・・。

 時政と義澄は奥方同士が姉妹。彼らは義理の兄弟。その領地は、伊豆北条と相模三浦半島と離れてはいるが、近い親戚同士のやりとりはあっただろう。また、祐親の孫には、北条宗時・政子・義時・実衣、三浦義村(山本耕史)らがいる。彼らは従兄弟同士。近い親戚同士のやり取りは小さい頃からあったはずだ。

 そして時は平時から戦時へと激変。娘八重が朝敵頼朝との間にもうけた子千鶴丸を下人(番組では善児(梶原善):善児という名はおそらく三谷氏の創作。役者の一字を取ったものか)に命じて殺害した祐親。平家の顔色を気にしたのである。
 
 祐親を討て!と命じた頼朝。命じられたのは和田義盛(横田栄司)と畠山重忠(中川大志)。和田も畠山も祐親とは近い血縁ではない武士。襲撃してきた彼らに対して、「あんな爺さんでも、俺の身内なんでね」と言って阻もうとした孫の義村。

 

鎌倉殿の13人で『山本耕史』が話題に!(2ページ目) - トレンドアットTV
 『鏡』では、海路で平家軍に加わろうとした祐親は、天野藤内遠景(あまののとうないとおかげ)に生け捕られている。(10月19日条)

 「伊東の祐親は生かしておくわけにはいかん」と言い放つ頼朝に、双六の話や竹馬の話で的外れな助命嘆願をする孫の政子と義時。「だから、何の話をしておるのだ。」と呆れながら、二人の気持ちを読み取った頼朝。祐親は孫たちによって救われた。

 2年後の1182年、政子が頼家を妊った恩赦を受けようと、義澄は頼朝に願い出る。その願いを頼朝は聞き入れた。義澄からそれを聞いた祐親は、自らを恥て自害した。『僅か一瞬の程』のことだったと『鏡』は記している。(同年2月14日条)