『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その37
第9回 決戦前夜
富士川の戦いについて
(左:三浦義澄、右:北条時政)
三浦義澄(佐藤B作)
「この世で一番みすぼらしいのは何か知っているか?しょげているジジイだ!」
北条時政(坂東彌十郎)
「次郎、俺のほっぺた思いっきりぶん殴ってくれ。頼む!」
三浦義澄
「後で恨んだりするなよ」 義澄、時政を思いっきり殴る。
北条時政
「やりやがったなぁ。」義澄を思いっきり突き飛ばす。義澄は川に投げ出される。その着水の音を聞いてビックリした水鳥数万羽が一斉に飛び立ち、その音を敵の夜襲と勘違いした平家の源氏追討軍が大混乱の中、撤退する。
第9回では、武田信義(八嶋智人)が頼朝を出し抜くどころか、時政と義澄のたった二人で平家軍を追いやってしまった。
(武田信義(八嶋智人))
確かに、面白い場面だったが、史実とは全く違う。
『平家物語』で見てみよう。
平家軍に参陣していた斎藤実盛(武蔵国長井荘が本拠)は、総大将で超イケメン平維盛(濱正悟)に「お前ほど強い弓を引く者は坂東にどれほどいるのか」と問われた時、「私なんかよりもっと強い弓を引くものはたくさんいます。さらに、坂東武者は戦場で親が討たれようが、子が討たれようが、その屍を乗り越えて戦います。親が死んだら、戦いを一旦やめて弔うような都との武士とは全く違います。」
(平維盛:濱正悟)
維盛たちは、東国(坂東)では、西国の戦い方の常識がまったく通用しないことを知らされ、ビビっていた。都から坂東に向かう途中で徴発された寄せ集めの追討軍だったので、戦う前からもともと戦意乏しく、実盛の話でさらに戦意が削がれていた。そんな折の数万馬の水鳥が飛び立つ轟音だった。
『鏡』は、武田信義の軍勢が追討軍の背後を突こうとしたところ、富士川の水鳥が飛び立ったと記す。(1180(治承四)年10月20日条)また、逃げた追討軍を追って、飯田家義と子の太郎らは富士川を渡り、追討軍と戦った。家義の子太郎は討死し、家義は伊藤武者次郎を討ち取った。以前にも書いたが、富士川の戦いでは全く戦闘がなかったわけではない。
維盛は、軍師的存在であった藤原忠清の助言もあって、軍を引き上げた。追討軍は散り散りとなり、這う這うの体で帰京した。