『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その31
第8回 いざ鎌倉
今回は源義経(菅田将暉)について。
「天才は1%のひらめきと99%の努力である」発明王エジソンの名言。
源義経は軍略の天才と言われる。今回もそうした設定のようだが、エジソンの名言とは逆の設定のようだ。
(源義経像:中尊寺蔵:菅田将暉とは似ても似つかない(笑))
「天才は1%の努力と99%のひらめきである」三谷幸喜はこんな設定で義経を描こうとしているようだ。兄頼朝の元に急いでいるはずの義経が、突然、富士山を見たいと言ったり、これまた突然、海を見たいと言ったり・・・。義経のひらめきや気まぐれに従者たちが振り回される。
これは治承・寿永の内乱で、天才ぶりを発揮する義経に振り回される頼朝武士団の様子を彷彿とさせる。三谷流の壮大な前振りかもしれない。
また、射止めたウサギを取り合う場面。遠矢で勝負をと義経自ら提案したにも関わらず、その矢で相手を射止める。さらに、ツルツル滑って里芋が掴めない従者たちを尻目に、義経は箸で刺して食べる。こうした場面には、義経の軍略家の一面が伺える。目的を達成するためには手段を選ばない義経の姿だ。
後、一ノ谷の戦いでは、獣以外は通れないような険阻な崖を騎馬で駆け降りる奇策で平家に勝利する。有名な鵯越(ひよどりごえ)の逆落(さかお)とし。
この時も事前に馬二頭を坂から落とし、一頭は途中で足を挫いて倒れるが、一頭は下まで無事に降りたことで、義経は作戦決行を決める。成功確率50%の作戦を70騎いたとされる自軍に強いたのである。決死の覚悟でと言えば聞こえは良いが、そこにいた武士たちの気持ちはどうだっただろうか?
(鵯越の逆落とし:『平家物語絵巻』)
ちなみに、この戦いで畠山重忠(中山大志)は、愛馬三日月を傷付けまいとして、自分で背負って降りたという伝説がある。この時、義経軍の中に重忠はいなかったことが史料等でわかっているので、重忠だったらこうしただろうという後世の作り話だ。
(愛馬三日月を担ぐ畠山重忠:畠山重忠公史跡公園)
壇の浦の戦いでも、非戦闘員である舟の漕ぎ手を射殺すという当時タブーとされたことを自軍に命じ、勝利を手にした。
(源義経像(左)と平知盛像(右):みもすそ川公園(山口県下関市)
ノー天気で破天荒、だが時には残忍で常識が通用しない。そんな姿がチラチラとしたのが今話での義経だった。これからは、梶原景時(中村獅童)と義経が同時に登場する場面に注目しておいてほしい。その理由については、そのうちに書きます。