『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その27
第7回 敵か、あるいは
宋銭(そうせん)について。
宋銭は有孔貨幣、つまり真ん中に四角い穴が空いたお金。今も五円玉と五十円玉の中央には穴が空いているが、それは丸い穴。どうして穴の形が違うかご存知ですか?
四角い穴から丸い穴への変化には、貨幣鋳造技術の進歩があるのです。
昔のお金は手作り。鋳型に銅などを流し込み、鋳型から取り出して貨幣を作る。機械のように正確にはできないから、どうしても「バリ」(不要な突起物)ができてしまう。これは、削って落とさなければならない。一個一個手に持って、削るのは結構大変。真ん中に穴を開けて、それを棒に通してガシガシ削れば大量生産が可能になる。だから真ん中に穴が空いている。
でも、穴が丸いと棒を通して削ろうとしてもクルクル回ってしまう。そこで四角い穴に角棒を通して回らないようにしたのだ。
(なんでも鑑定団に出された富本銭:円の周りの出っぱりがバリ)
※これには何と1,000,000円の値が付いたとか・・・
現在の五円玉、五十円玉は機械で大量生産されているので、バリを削る必要がない。時どきエラーコインが出て高値で取引されているようだが。
穴が空いているのは、多くの硬貨が出回っている現在、他の硬貨と間違わないためとか、偽造防止のためとか言われている。穴を開ける目的が昔と全く違うのだ。
また、日本に流通した宋銭は何種類かあるが、価値はほぼ一緒と言って良い。つまり、今風に言えば、500円硬貨で全ての経済を賄ったという感じ。大きな商いだったら大量の宋銭が必要になったことだろう。
さらに、鎌倉時代の日本は、末法思想と言って仏様の教えが忘れ去られ、世紀末が来るという仏教思想の影響で、仏像需要が急激に拡大していた時代。銅でできていた宋銭が、仏像の材料として煎溶かして使われていた。鎌倉高徳院の大仏も宋銭が原材料となったと言われている。
鎌倉時代、宋銭は通貨として流通が拡大していった。それを示す好例が有名な『一遍上人絵伝』の福岡の市。九州の福岡ではなく、備前(岡山県)の福岡。一般人と思われる髭ズラの男性が、奥さんか恋人かわからない女性から反物をねだられているその手に、紐に通した宋銭が握られているのだ。
(『一遍上人絵伝』福岡市:左端の髭親父の手に黒い棒のような物が。これが宋銭)
宋銭の輸入は清盛が最初に始めたことではないが、清盛が目をつけたことによって日本の貨幣経済が回り始めたと言っても過言ではないだろう。