『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その25
第7回 敵か、あるいは
今回は烏帽子(えぼし)について。
男性が頭に着けている帽子のような物。もしかしたら不思議に思った方もおられたかも知れない場面があった。頼朝が、亀(江口のりこ)と❌❌後、寝込んでいる時、亀の夫権三に寝込みを襲われるシーン。「人妻だったのか?」(頼朝)「言ってなかった?」(亀)大爆笑した方もいただろう。ネット上でこの時の頼朝を『エロ朝』と言っている女性のブログを見つけた。WWW
閑話休題。
頼朝は烏帽子を被ったまま寝ていた。それも立烏帽子という最も格式の高い烏帽子を。
(烏帽子岩:神奈川県茅ヶ崎市)
わかりやすく言うと、当時の烏帽子は今で言うパンツ(ブリーフ、トランクスでも可(笑))と同じなのだ。人前で決して取ってはならないもの。あのシーン、頼朝はパンツ(当時は褌)は脱いだが、烏帽子は脱がなかったと言うこと(笑)。
このコラムその7でも書いたが、亀との関係を知った政子が、牧宗親に匿った家の破却を命じ、頼朝はその命に従った宗親を呼びつけ、叱責した上で髻(もとどり:ちょんまげ)を切り落とす。宗親は泣きながらその場を去った。とんでもない夫婦喧嘩。
宗親は頼朝に呼びつけられた時、烏帽子を着けていたはず。髻を切られる時、そのままだと切れないので当然、烏帽子を脱がされた。言い換えれば、人前で強引にパンツを脱がされ、・・・あとはご想像に任せますWWW
頼朝に怒られたから泣いて帰ったのではなく、人前で最大の恥辱を受けたから泣き叫んだのだ。
烏帽子はとっても大切なもの。パンツよりも大切かもと言うお話を。
男性が元服(成人式)を迎えた時に被せてもらうのが烏帽子。王様の戴冠式の如く。その烏帽子を被せてくれる人を烏帽子親と言って、その関係は本物の親と同等となる。従って、名家ならば相応の人物が烏帽子親となるのだ。
さらに、元服後には幼名を捨て、名を名乗る。その時、烏帽子親の名前の一文字をもらう習わしがあった。これを偏諱(へんき)と言う。北条義時の嫡男泰時は、頼朝が烏帽子親。最初は頼朝の一時をもらって頼時と名乗ったと言われる。
これほど左様に烏帽子とは重要なものだったと言うお話でした。
次週第8回は『いざ、キャバクラ』 失礼! 『いざ、鎌倉』