『鎌倉殿の十三人』〜後追いコラム その23 | nettyzeroのブログ

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『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その23

第7話 敵か、あるいは

 

 今話最後に登場した藤原秀衡(田中泯)。今回は彼の一族について。

 

奥州(おうしゅう)藤原氏。奥州(東北)の地に中尊寺金色堂に象徴される黄金文化を築き上げた一族。滅亡までの4代の覚え方は良く授業で生徒たちに披露したものだ。懐かしい。

 

『き・も・ひ・やす』。初代清衡(きよひら)、2代基衡(もとひら)、秀衡(ひでひら)、泰衡(やすひら)の4人だ。

 

              (中尊寺金色(こんじき)堂)

 

 今話登場しているのは、3代目の秀衡。奥州藤原氏が最も安定し、一大勢力を誇った時期の族長。「御館(みたち)」と呼ばれた。朝敵源義経(菅田将暉)を匿えたのも、秀衡が下手に手出しができない強大な力を持っていたからだ。17万の軍勢を率いていたとも。本当なら上総介広常の8倍強だ。

 

 頼朝の挙兵前、平家の討手が差し向けられる前に奥州に逃げたほうが良いと進言があったほどの存在だ。そして、源氏にとっても、さまざまな関わりがある一族なのだ。

 

 初代清衡は、当時奥州の主であった安倍一族の娘が母。父は源頼義の弟の従者として奥州に土着した藤原経清(つねきよ)。京都から遠く離れた奥州からすれば、都の貴族=尊い血筋=貴種だ。一族に貴種の血を入れる機会があれば、自分の妻をも差し出したという時代。経清の血は安倍一族の中に取り込まれた。

 

 しかし、安倍氏は、一族の内紛から前九年の役が起こり、源頼義とそれに与した安倍氏と並ぶ奥州の有力豪族清原氏によって滅ぼされた。経清も安倍一族と運命を共にした。生き残った経清の妻は、清衡を連子として、敵方だった清原武貞に再嫁した。経清嫡男であった清衡は、母の再嫁によって命を救われたのである。ある意味、義経と一緒だ。

 

 その後、清原一族の内紛が原因で後三年の役が起こり、頼義の子源義家の支援を受けた清衡が勝利。奥州の主となった。以後、約100年間、奥州藤原氏は平泉を中心に勢力を維持した。

 

    

              (奥州藤原氏関係系図)

 

 秀衡は強大な軍事力だけでなく、政治的・外交的にも優れていた。源頼朝・源義仲(青木崇高:優香の旦那)挙兵に手を焼いていた平氏は、秀衡に官職を与えて両者を牽制しようとしたが、秀衡は官職だけもらい、源平の争乱中には動こうとしなかった。

 

 頼朝はそんな秀衡を警戒した。また、奥州は頼朝にとって先祖頼義時代から源氏が影響を持ち続けた地。壇の浦で平家を滅ぼした頼朝は、秀衡亡き後に一族を率いていた泰衡に政治的な揺さぶりをかけ、弟義経を討たせただけでなく、泰衡をも滅ぼすのである。