『鎌倉殿の十三人』〜後追いコラム その20 | nettyzeroのブログ

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『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その20

第6話 悪い知らせ その4

今回は安西景益(猪野学)について

 

安房にたどり着いた頼朝を保護した安西景益。『鏡』は

 

 (頼朝が)御幼稚の当初、殊に昵近(じっきん)し奉る者なり (九月一日条)

 

と記している。頼朝が幼少の頃、特に慣れ親しんだのが景益だと。

 

 真鶴(『鏡』では真名鶴)から安房猟島(安房郡鋸南町竜島)に上陸した頼朝は、上陸地点から直線距離で200M弱の場所にある神明神社に滞在する。

源頼朝上陸地(みなもとのよりともじょうりくのち/Minamoto Yoritomo) - 鋸南町ホームページ 

 劇中では、出迎えた景益が「我が館で疲れを癒してくだされ」と言う場面があったが、頼朝が景益の館に渡るのは9月4日。安房上陸の6日後のこと。

 上陸地点から景益の館跡と言われる平松城(南房総市池之内)までは、今ある道を使っても約18キロ。九死に一生を得た頼朝達が、上陸後すぐに行けるような場所ではなかった。

 

 また、先着していた北条時政らは、頼朝を浜で出迎えたと『鏡』は伝える。さらに能好きであれば『七騎落』が脳裏をよぎった方もいたかもしれない。

 

 真鶴から船に乗ろうとした頼朝が、従っている兵の数を数えると八騎。これは平治の乱で敗れ、父義朝と共に都落ちした時の数と同じ不吉な数。頼朝は一人残れと命じる(酷い話W)。

 

 頼朝の命に応じようとしたのは土肥実平だった。そんな時、実平の子遠平が父の身代わりを申し出る。残された物は死を覚悟しなければならない状況。そんな中での親子の愛がテーマの能である。結果として、残された遠平も和田義盛の舟に救われるのだが。

 

 そんな七騎には北条義時は含まれていない。『鏡』では、北条時政・義時らは、頼朝が安房に向かう前日に土肥郷岩浦(真鶴町岩)から安房に向かい、海上で衣笠城から逃れてきた三浦義澄らと出会っている。また、『七騎落』で今生の別れをする遠平は、頼朝の使いとして政子が匿われていた伊豆山神社へ頼朝の政子を思う気持ちを伝えに行っている。

 

 話が脇道に逸れてしまった。閑話休題。

 

 実は、頼朝に与した安西景益は、三浦義澄の女婿である。頼朝と旧知の中であったと同時に、三浦氏とも姻戚関係にあった。つまり、頼朝は以前話題にした父義朝時代に構築された「乳母」関係と家臣達の血縁関係という二重の網の目によって守られていたのである。