『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その14
第4話 矢のゆくえ
山木攻めはまさにドタバタ
第4話で源平合戦が始まった。頼朝軍は初戦の山木館襲撃に成功し、伊豆目代山木兼隆(木原勝利)、その後見である堤信遠(吉見一豊)を討ち取った(第5話)。挙兵までのドタバタが描かれていたが、実際はもっとドタバタしていた。
卜筮で挙兵は8月17日寅卯の刻(午前5時ごろ)と決まった。計画は朝駆けの奇襲攻撃だった。「?」。三島社の祭礼で浮かれ、楽しんでいる人々の中を颯爽と山木攻めに向かう頼朝軍の映像はすでに夜。???
仁田忠常(高岸宏行)が声高らかに参着を告げた佐々木秀義(康すおん)の4人の息子たち。彼らが頼朝の下に来たのは17日未の刻(午後2時ごろ)。そうすでに挙兵の予定時刻は過ぎていた。
実は4兄弟の長兄定綱(木全隆浩)は父の使いで8月11日から頼朝の元にいた。13日早朝、戦備えのため、当時奇食していた渋谷重国(現在小田急線の高座渋谷あたりを領していた有力者。後に頼朝に臣従する)の元に帰った。頼朝は引き留めたが、16日には必ず帰るという約束を信じ、また、奇食先の重国に加勢を促す手紙まで持たせた。
結果、15日からの大雨で洪水が起こり、4兄弟は16日に来れず、挙兵予定時刻にも間に遅参した。さらに、渋谷重国は頼朝に加勢しなかった。実は洪水は今後頼朝の運命を左右することになるので記憶の隅に置いていただければ。
山内経俊が大庭景親に頼朝挙兵間近を知らせる場面があったが、頼朝の挙兵は、結構色々なところにバレバレだったことになる。
17日未の刻、ようやく4兄弟到着。定綱と経高(江澤大樹)はよれよれの疲馬にまたがり、盛綱(増田和也)・高綱(見寺剛)は徒だち。そんな4人を挙兵予定を変更してまで待った頼朝、これは何を意味するか?
岡崎義実(たかお鷹)・佐々木秀義ら老兵に頼らざるを得ない頼朝軍。たった4人の参着を予定変更してまで待たざるを得なかった頼朝軍。それほどまでに頼朝軍は寡兵だったのだ。その軍勢がどれくらいだった詳細は不明だが、30騎位から100騎超えまで諸説ある。いずれにしても、この山木攻めは規模から言っても地方豪族の小競り合い。
大軍が激突するような源平合戦はまだまだ先の話だ。