皆さんにいただいたたくさんのお声で、犬がもう一度我が家に来てくれたんだなぁ、夢ではないんだ現実なんだとハッキリ自覚できました。
本当に本当にありがとうございます。
ぶっちゃけ1日中可愛くて可愛くてどうしようもない状態になっちゃっています。
たまにTVで「オキシトシン」とかっていう言葉を聞きますが、まさにこれは今の私、出まくりだと思います。
もう、小さな悩み、大きな悩み、どうでもいいですくだらない
太郎が幸せにしていてくれることが、私の幸せです
きのう、タヌキとあざらしのあいのこみたいだと書いたのですが、尻尾を見てやってください!これを見てたぬきみたいだなぁと思ったんです。
まだ太郎との生活3日目ですけど、ちょっとずつ、こぶさらとはまた違うこの仔のキャラがわかってきて、個性さまざまだなぁと感慨深いです
もっと色々書きたいのですが、どのような経緯でこの仔がうちに来ることになったのか続きを書いていきたいと思います。
去年の終わり頃からバタバタ変な時の流れ方をしていたのです。
初めてのギックリ腰、そして左足指、自宅内の怪我…、それに友人の愛犬の発病で酸素室を送るかどうするか、大きさが合わない?どうして!!!!と夜中までバタバタ連絡をしたり…なかなか1月2月は落ち着かなかったのです。
おまけに自分が投資していた仮想通貨が大暴落し、もう年の初めから「人生終わったーーーーどうにでもなれーーーー」とも思いました
ローソンのお饅頭、ちょっと太郎に似てる?
そんな日々をおくっていたのですが、さらに忙しい毎日が始まるのだとは知る由もありませんでした。
事の始まりは1月30日のことでした。夕方母から電話が入り「Mちゃんが亡くなった」ということでした。
Mちゃんというのは、私の父の妹ですから、私の叔母になります。
昨年なんだかの病気の手術をしたあと、元気に回復したと聞いていたので、特別気にも留めていませんでした。
Mちゃんは旦那様(H叔父)の仕事の関係でその結婚生活のほとんどをロンドン、NYで過ごしました。
ヘアスタイルはソバージュというか、ちょっとあの年で日本にはいないような感じな叔母でして趣味はジャズピアノ演奏。
叔父はクラシックが好きで、昔、家に遊びに行った時、フルート演奏のパートだけが欠けてるクラシックのカラオケをCDで流してフルートのところを自分で弾いて聞かせてくれたのをよく覚えています。
それにしても2月1日がさらの一周忌でしたから、私としては綺麗なお花を準備してさらの好物などを色々と準備してあげたいと考えていた矢先でした。
高齢の母に「他の人には連絡頼んだ」と言われ、連絡の付かない人や、なかなか決まらない通夜、葬儀の日取りや会場などの問い合わせやら「姪一同」的な花輪の手配などで、さらの買い物も落ち着いてできなくなりました。
Mちゃん夫婦は子供は望んでいたらしいのですが、恵まれずに一生夫婦二人でした。とっても仲の良い二人でした。
そして彼女の生活にはずっとチワワがいて、海外転勤の日々もすべてチワワがいました。
旦那様はT大を出ててO商事の社長、自社ビルは銀座にありましたが倒産し、しばらくして二人は住まいを千葉に移しました。
太郎はその千葉時代を一緒に過ごした何番目かの仔なのだと思います。
叔父叔母とは最近は頻繁に会っていたわけでもなく、親戚の法事で会う程度。
叔母は年を考えれば亡くなっても変ではない年齢なのです。
なので、叔母夫婦の長かったチワワ生活も終わり、もう犬はいないのだろうと勝手に思い込んでいました。
しかしまさか、まだチワワの続きがいたとは…!
でもまだ叔父がいますから、チワワの世話はOKだと思ってそれ以上この仔について考えることはありませんでした。
千葉の葬儀事情が大混雑していて、通夜は叔母が亡くなった9日後と決まり、その翌日朝からが葬儀となりました。
家で急死したので事件性が絡んでないか、警察の取り調べで私の家まで電話も来ました。叔母の亡骸は警察に何泊か、そして残りの何泊かは葬儀場で安置されました。
私の自宅の神奈川県からは片道3時間で、通夜終了が遅く、葬儀が早いので、通夜の晩はそのまま母と一緒に千葉のホテルに一泊することになりました。
葬儀は叔母が好きだった曲、パッフェルベルのカノンがシンセサイザーで生演奏され感慨深いお式となりました。
そして翌日火葬、お斎が済んでから、そのまま葬儀社のマイクロバスで駅まで送ってもらえることになりました。
叔母夫婦には子供がいませんから、従妹のKちゃん(結構力持ちの男子)がお骨、Yちゃん(私の一個上のお姉ちゃん)がお花、私は大きな遺影の額を持ち、喪主である叔父の家に一旦途中下車してくれるマイクロバスを降りて叔父の家にそれらを運び入れました。
叔父は持病のパーキンソン病が少し進んでいて自分の歩行も杖を使いちょっと危ないくらいだったので、何も持たず。
叔父が鍵を開けてくれて、私達はみんなで叔父の家に入って行ったのですが、TVが大きな音でつけっぱなしになっていて、それに慌てたYちゃんが、「あれ?おかしい太郎がいない
」と大声を出しました。
するとソファの上の取り込んで積み重なってるだけの衣類諸々の山の中から一匹の茶色い豆柴の子供のようなのがポカンと、ハトが豆鉄砲を食らったようなひょっこりはん顔をしてこちらを黙って見つめていました。
どうやらお昼寝の邪魔をされたようで、その犬は不審な侵入者に向かって猛烈に吠えまくり始めました。
下ではマイクロバスがほかのお客様を乗せて待っているので、ゆっくりしている暇はありません。
「叔父さん、あまり気落ちしちゃだめだよ。また電話するからね」とKちゃんが言葉を残し、私達三人はそそくさと叔父の家を出てマイクロバスまで走りました。
これが太郎との初めての出会いで、この日からこの仔がうちの仔になるまでのおよそ22日間のあいだに、事態は急な変化を遂げるのでした。