きのう2月1日は我が家の大切な可愛い可愛いさらの1周忌でした。

1日たりとて彼らを思い出さなかった日はありません。

 

あれから1年。まるっきりこぶもさらも動物のいない生活が1年続いて、私は犬から教わったことが本当にたくさんあったんだな、と改めて思いました。

 

 

たくさんあった中で一番感じていること、それをうまく文字で書けないのですが、彼女らは、たとえ自分が重大な病の中にあっても、最期の瞬間まで捨てばちにならず、「新しく迎える1日をまた喜びをもって、力強く精一杯生きることをしていた」ということでした。

自分の身に起きてくることをすべて受け入れ苦しい時にはその苦しみを、おいしいものは喜んでそれを食べて、すべて受け入れ、全身でぶつかって生きていました。

 

私だったら、もし彼ら(うちの愛犬は二人とも心臓病でした)のような重大な病気だったら、あんなに精一杯明るい顔をして誠実に生き続けることはできただろうかと考えます。

 

勿論、言葉が分からず、事情がわからず、という違いはあります。

でも、「なんでこんなに病院ばっかりなんだろう?このたくさんの薬はどういう意味?たまにどうしようもなく苦しくなるのは何なのか?」という不安を、たとえ感じることはあっても、私達へ向けるあのまぶしいばかりの笑顔、癒されているのはいつも人間のほうでした。

 

覚えてるだけでも、さらは激しくせきこんだ後に「大丈夫だよママ、さらは咳しても大丈夫だから音譜なんでもないからねビックリマーク」と慰めるように私に尻尾を振って笑って見せることもありました。

そんな時、私は泣けてきました。

 

 

おやつをもらう時も真剣な顔でこんな私に真っ直ぐと、「はい!おやつください!」って。

私みたいに『ちえっ!たいしたこともないケチなおやつをもったいぶりやがって!別に今日たべなくてもいいよ』な~んて顔はしてなかったですからね。

その穢れのない純粋な心、霊格は間違いなく彼らのほうが上です。

 

 

薔薇の右隣りに見えるのがさらちゃんの骨壺で、今はいちごのドレスを着ています。

夕べは大好物のレバーを煮て、お兄ちゃんと二人で喧嘩しないで食べてねとお供えしました。

 

二人の守護精霊への道、修行はうまく進んでいるのでしょうかねはてなマーク

たまにでいいので、授業参観みたいので親が呼ばれるってないものでしょうかニコニコニコニコ

そしたら、しまむらのスリッパなんかじゃなくてカッコイイ靴をはいて魔法の絨毯に乗って見学に行きたい!!

 

でも、どうせ見学に行ったところで、こぶは早弁中、さらはそんなお兄ちゃんをパンチしながらも、自分もお兄ちゃんの卵焼きをとりあげてモグモグ…なんて、せいぜいがそんなものでしょうがあせるあせるべーっだ!べーっだ!

 

二人が温かい場所で仲良く、ほかのお友達とも気持ちよく昼寝でもして私を待っててくれてるといいなぁラブラブラブラブ虹虹