去年の今頃、夕方さらは悲鳴をあげて病院に運ばれ、それから2月1日、虹の橋を渡るまで壮絶な日々だったことを思い出すと、あれから1年なのにもう遠い昔のことのように思う。

 

夜はダイニングの椅子の上に夜中緊急でセンターに連れていく時用に着替えを置いて寝たっけ。

 

入院時は私の作ったご飯しか食べないからそれを運ぶ用の、我が家で2台目の車(中古)を買ったっけ。食べてほしいの一心だった。

 

夕食の時に夫婦でお酒を揃って飲むということはなかったな。

どっちかが必ず運転することになるからね。

まるで消防署の夜勤署員みたいだったよ。

 

とにかくとにかく私達二人は一生懸命だったなぁ。

もうあの緊張は無理だと思う。体というか神経がもたないだろうなぁ。

 

普通人は、亡くなった人を、「声からだんだん忘れていく」っていうけど、私はそんなことはない。声も何も忘れてないよさら。

その声だって種類によって何が言いたいのかほとんどわかってた、それも今も忘れてないよ。

これからもいつまでもお兄ちゃんの声だって全然覚えてる。

 

だけどね、忘れない自信はあるけど…。

 

 

 

こないだ友人(旦那様はカナダ人)の旦那様のお母さんとお姉さんが亡くなり、そのうちお父様もすぐに亡くなり、アイルランド付近に住んでいらしたみたいなんだけど、海洋散骨することになったって言うのね。

向こうの人は日本みたいにお骨で残すっていうより、粉状態になるまで焼くのが普通みたいで、日本のような骨壺っていうより、小さな素敵な箱に入れたり、海洋散骨もポピュラーみたいで。

 

彼らにしてみたら、私達みたいに骨の状態で壺に入れて、しかも愛犬かわいさに時々骨壺を開けてみるなんてホラーだろうな叫び叫び叫び

 

私は自分も死んだら石のお墓に入るのは何となく抵抗ありで、

「しかも義実家のお墓に入るのはちょっとアレだなぁ」

でも、海洋散骨だと私の愛してた人とバラバラになってしまうような気がして(背泳ぎで50mしか泳げないし)、

 

「そうだ!樹木葬がいいかな」なんて考ることもたまにあり…。

しかもそれはこぶさらとは絶対に一緒の場所になるのが条件。

 

ハッキリ決めないうちに自分が急に死んでなんとなく流れで望まない方向に行ってしまったら一生の後悔で。

まぁ、死んだら自由な魂はお墓にジっとしてるわけじゃなくってのはわかってるけど、やっぱりそれでもちょっとこだわってしまう…。

 

そんなことを漠然といつも考えてるけど、考えてるうちに、大体この手元供養っていうのはいつまで許されるんだろうなぁ、なんて急に気になり始めて。

 

最近、心臓もピリピリとかひきつるから、コレステロール高いしショック!ショック!ショック!もうちょっと真面目に探そうかなっ…と。

新聞の折り込みチラシで、「ペットと一緒に眠れます」なんていう所がたまにあるでしょ、これを先に買っておいてこぶさらに待っててもらうっていうのはどうかな、なーんて考えちゃったりするのよ。

 

うちのほうは丹沢の山なので、たまに自然豊かなすごく環境の良いお墓なんていうのがあって、お化けも全然出そうな感じじゃなくて、バラ園みたいなところに、墓石というよりもっと現代風な、なんていうの?低めな寝かせてある石みたいのがあるじゃない、フランス映画に出て来るようなやつ。

 

でも、その写真をよく見ると石に何か文字を掘ってあるのがあって、私だったらどんな文字を掘るかなぁ、とニコニコニコニコニコニコちょっと考えてみた。

自分一人だったら間違いなく「旅」で決まりだわ。8年間、旅を生業にしてきたし今も旅のない人生は考えられないし。

相方だったらギターが好きだから「ギ」とかはてなマーク

これは聞いといたほうがいいのかもと思ってこないだ聞いたら、

「俺だったら(楽)だろうねぇ」って言うではないか。

へぇ~楽したいってこと?って聞くと

「違うよ、俺は楽しむために生きてるから」だぁーーってほっこりほっこりほっこり

 

そうか、で、こぶさらに聞いたら何て言うだろう。

 

 

 

 

 

 

「梨」

 

 

 

 

 

 

とか言いそう。

どう?墓石に「梨」って書いてあったらゲラゲラゲラゲラゲラゲラ