またまた久々の投稿になってしまいました。

実は前回肺水腫の退院(19日)の3日後の22日の夕方、再び肺水腫を発症し、入院となってしまいました。

 

この前日、いつもこの仔のチッチは利尿剤を飲んで量も多いため、ほとんど無色透明なんです。

シーツなんて、重みで使用済みとわかるか、日にかざすでもしないとわからないことも多い。

それなのに普通のチッチの色で、チッチの量も回数も気のせいか少ないような気がする。おかしいなぁ、効いてないのかなぁとは思ってたのです。

夕方になるにつれ、呼吸数がだんだん異様に多くなり、これは変だと思ってTAXIを呼んだのですけどね、このオペレーターがトロトロまったりとしてて、5分で行きますという割に15分くらい待たされ、途中の信号で「お釣りはいりません」とさらを抱きかかえて病院まで走りました。

「お釣りはいりません」て、いつか使うセリフなんだろな、と思ってたらついに使いましたショボーン

 

病院の方はさすが対応は慣れているので、受付で待ち構えててくれ、入口から飛び込んだらそのままさらを受け取り酸素室へ直行してくれました。

それからのさらはどんどん悪くなる一方で、先住犬が亡くなった時と同じピンクの液体を吐き出しました。

これを見て私はもう半ば観念したのですけど、さらは苦しがりながらも持ちこたえてくれました。

しかし、夜間は誰もいない病院に残さなくてはなりません。点滴を外したら死んでしまうので外せない、夜間救急センターへの搬送にも恐らく耐えられないだろうということで、もうここに留まるしか手がなくなり、担当の先生が残って深夜1時まで診ていて下さったのですが、私たちが帰ったあと、もう一度ひどい発作が来て、ピンク色を吐いたそうです。お母さんとお父さんをお呼びしようかどうしようか迷っているうちにまた持ちこたえてくれたと翌朝聞きました。

 

小さな個人病院ならまだしも、これだけ患者を預かっていて、夜勤がいないというのはちょっと不思議でなりませんでしたが、夜、病院を去る時はこの仔の生命力にかけるしか方法はありませんでした。

ずいぶんと詳しく書く事は色々あるのですが、長くなってしまうので、はしょって書くと結果この仔は翌朝まで無事に、酸素室で息をして生き延びていたのです。先住犬が虹の橋の前で必死に「通せんぼ」をしたのでしょう。

 

しかし、それからが大変でした。いつもの発作の時のように利尿剤を打てばなんとか家に帰れるというものではなく、肺の水は中途半端な量が残ったまま引かなくなってしまい、レントゲンにはむなしく肺の白いモヤモヤが2日経っても3日経っても消えません。

面会にいくたびにその画像を見せられ、「きのうと変化はありませんでした」と聞き、奈落の底に落ちました汗

 

でも、不思議なことにさらは苦しがるでもなく、咳が出るでもなく、表情もケロっとしているのが病院の先生、私たち皆?????でした。

もう薬もMAX、腎臓の値も悪く、利尿剤の量も限界いっぱい。心臓の状態ももう薬に対して反応しないから、このまま病院での酸素室の生活になるかも、と言われ、さすが言葉も涙も出ませんでした。

 

祈りってバカになさる方が多いかもしれない。でも、こういう時は祈ることしかできないのです。

思えば幼稚園から祈りのある生活をしていた私(世田谷区のニコタマから歩いて行けるミッションスクールに幼稚園から高校までいました)、今までの人生で本当に祈るしか手段がなくなった時ってなかったかもしれない。

私はクリスチャンである実母に電話を入れ、追い詰められてたせいか「神様なんかね、いないんだよそんなもん!起こることすべてに意味があるなんて言うけど、こんなことに何の意味があるんだ!さらが何をしたっていうんだ!あの仔は今まで人に愛を与えるしかしてこなかったのに!!可愛いさらが何でこんな目に!!!!!!!世の中不条理だ!!」と吐きつけるように言いました。

母は静かに「そんなことを言うものじゃないのよ。私はお祈りをしてるからね」と言いましたけど、そんなものでどうにかなるのなら苦労はないんだよ、とその時は思いました。

 

肺の水が引かなく、酸素室生活を続けるうえで大きな問題がありました。前回の入院もそうでしたけど、さらは場所が変わると食べないんです。

なので、まだいつもの私の手作りならどうだろうと思い、1日に二食作りたてのものを食べさせるために二度ずつ面会にいきました。

車は旦那君が仕事に乗って行ってしまうので、歩くしかありませんでした。

万里の長城に行った事がある方はわかるかもしれないけど、あの苦しいほうの坂の険しいコースのような坂がゲッソリ、なんとも厳しく、途中で止まって一回休まないとなかなか足は進みませんでした。後ろ向きに坂を歩いたりするのだけど、どうしてもどうやってももう足が動きません。

病院に着いた時はいつも汗はダラダラで、息切れが激しく、こっちが酸素室に入れてほしいくらいでした💦

 

なので、入院4日目にしてついにギブアップとなり、中古車を急いで買いました。

まさか車屋さんに見に行ってその日のうちに「これください」って大根かっ…酔っ払い

1日に二度病院へ行き、さらの汚れ物(マットやベッドを酸素室に入れてるので)を引き取り、ご飯を差し入れ。

それでもほとんど食べてくれなくて(レバーの水煮ならちょっと口にします)←どんだけ好きなのか。

デザートに好物の柿をサイコロに切って行っても口に持っていくと食べません。

前回の入院はそれでも退院できたので良しだったのに、今回は酸素室から出れない。

益々祈りました。真面目に祈るしか手段がなかったのです。さらが言葉がわかったら、説明すればもうちょっと食べてくれたかもしれないけど。

点滴で入れてくれないか相談しても、なんだかかんだかの理由で薬優先なため(多分)それは無理なようでした。

 

1日に二度ずつ面会に行くと、どんだけ具合が悪くて運ばれてくるワンチャンが多いか、電話はひっきりなしだし、それは想像をはるかに超えたものでした。入院病棟はほぼほぼ満室。酸素室もいつも誰かしら入っています。

この病院は総勢30数名のスタッフがいるので、医局はいつもワサワサと忙しいです。

肺水腫が圧倒的に多く、ほとんどが小型犬で多くはチワワという…。これだけお家で看護している人がいるということかぁ、と思えば、その数はすごいものだなぁ、と思いました。

でも前の日は息も絶え絶えだった仔が次の日にはシャンキラキラ!と目の輝きを取り戻し「出せ出せ出せ出せぃ~~!!ムキーッ」と犬かきのようにガラスを引っ掻いているのを見るのは、とってもうれしくおかしいことでした。

 

そんな中、先住犬が赤ちゃんの時からお世話になった女性のH先生(副院長)がいらっしゃるのですが、この先生が、この病院がチーム医療なため、チームにいてくださったことがわかり、水面下で、ある推理を働かせ、別の心臓薬を取り入れ、さらに血液検査で白血球の値が2~3万あるのはおかしいと、抗菌剤も使いだしたのです。

レントゲンで水だと思っていたのは水ではなく、実は炎症のための影でしかないのでは?

(レントゲンって本当にわかりにくいですよね。血管や水、ただの影が同じように映るので)

仮にそうだとすれば咳がまったく出ないことや、呼吸数は多いけどチアノーゼはみられない、など色々なことの筋が通ります。

 

 

そう仮定してまったく違う治療が始まり薬もまったく別の物に変わり、3日経った今日!!!!

レントゲンに映ったさらの肺は、モヤモヤが少なくなってきて、しかも薬を変えて心臓はシュっ!とシェイプされ、レントゲンでも白ではなく、黒々とした部分が俄然増えました。

心臓の検査はさらを横にする姿勢が取れなくて今までできなかったのが、それもできるようになり、点滴もはずれ、明日のトライアル退院の準備で酸素値を徐々に落としています。

 

心臓の検査では既にレベルが一番悪いところにいました。いつどうなってもおかしくない状態ですが、二度も危なくなってそれでも生き抜き、明日は生きて家に戻れることに…!

一旦家にお泊りして、それからまた月曜日に戻して再検査すると色々な不思議なことが解けてくるそうです。

彼女にストレスがどれくらいの悪影響を与えているのか…。お家に戻って普通の状態で水を飲むとどれくらいに腎臓の値が変化するかなど。

 

いやこの先生、一言、「神」です。説明が始まるといつも私は難しくて半分くらいしかわからなくポーーーっとしてしまうけど、旦那君はいつも帰りの車中で「あの先生は外見は女性だけど、頭は男性の外科医ギャノンの脳だよ」なんて感心しています。

実際、私もさらが生きてあの病院から戻ってこられるなんて今回ばかりは考えていませんでした。

 

明日はお迎えに行きますけど、もうこの狭い酸素室に10日いるので、筋肉が落ちてしまいスープを取り終わった鶏のダシがらみたいです。

歩けなくなってるかも、とか家に帰って急に走り出したらどうしよう、とか不安は色々あるけど(ずっと前、障害物を置けば走らなくなると工夫してクッションなどを置いたけど、それをもハードルのように飛び越え、ますます運動量が増えたという苦い経験がぁぁ)今日はうれしくてさらをモデルにした来年の年賀状をオーダーしてしまいました。

生きなくては!毎日をコツコツと!