12日に亡くなられた大橋巨泉さん、これで私の中ではTVというものの一つの時代が完全に終わったように感じられます。
追悼の割に、ピンクのバラでごめんなさい。

TVの中の人が亡くなって涙を流すって私にしてはあまりないほうなんだけど、徹子の部屋で永六輔さんと出演された時の追悼番組を見たとき、巨泉さんがお元気だった頃の様子がありありとよみがえってきて、涙がワーーとわいてきましたよ
いくら痩せていても目の奥の魂はあの巨泉さんそのものでしたから。

巨泉さんが集中治療室に入って「もうこんなんで生きてても仕方ない」っておっしゃってたってTVで聞いて、こんな丹沢の一主婦だけど、そんなことはない生きてるだけで価値があるのが巨泉さんだって、手紙でもなんでも書きたいって思ってるうちの訃報でした。

小さい頃私の通ってた学校はこじんまりとしてて、誰のパパ誰のママっていうのをみんなが知ってて、うちの父がたまたま「ミランダのパパは大橋巨泉に似てる」っていうことでいつの間にか有名になっちゃって(・・。)ゞ

運動会などに父が来ると、大橋巨泉が来てるなんてみんなが冷やかすものだからなんだか恥ずかしかったけど、あれは多分メガネの黒縁がそう言われた大きな要因の一つでもあったと思うの。
あの時代は今みたいにメガネのフレームも種類が多くなくてね。でも、子供ながらにどこかそれだけでない雰囲気のどこかが似てるなぁとは思ってはいたけどさ


その後、私も学校を卒業して海外旅行の添乗員の仕事を8年間してた頃があったのだけど、
7月に入ると、毎年カナダのツアーが大忙しでアサインされるツアーの3本に2本はカナダという状態で、私の乗っていたツアー会社○T○のカナダの指定土産物店のオーナーが大橋巨泉さんで(OKギフトSHOP
ここでまた巨泉さんとは不思議なご縁で、巨泉さんはもちろん覚えてもいないだろうけど、よくバンフスプリングスホテルでお見かけしては
「あっ巨泉さんきょうもまた後程お世話になります
なんて声をかけさせてもらってたんだけど、とっても気さくな方でますます巨泉さんが身近に感じられてた…



先日の金スマで放映された懐かしの倍率ドン「巨泉のクイズダービー」は、まるで昔どおりの巨泉さんの活躍ぶりが見られて本当にうれしかった。
人として生まれて自分にピッタリの適職に恵まれ、皆に喜ばれた人の典型じゃないかなぁ、なんて思ったりね。
仕事でのベテランぶりはもちろんだけど、全員に好かれようとしてないからこそ、自分の持ち味を存分に出した名司会ができたんじゃないかな。
誰にも媚びないあの飄々とした生き様というか、抜群に冴えたカン、司会ぶりはもう痛快としかいいようがないわ

また仕事一辺倒じゃなくて遊びもたくさん楽しんで引き出しの多い魅力的な人だったからこそ、それがまた仕事に生かされるという…

人生を味わい尽くして天国に旅立たれた巨泉さん、80歳超えてたから仕方ないのかもしれないけど、100歳以上生きそうな人だったからちょっぴり早く逝ってしまった感が残るのは不思議だなぁ。
良い人が次々にいなくなるね。
なんだか今の若い人ってみんなプラスチックみたいでね、同じ顔に見えてくるし

巨泉さん、ホールインワンを出してないってそれが心残りだってつぶやいていたけど、天国でたくさんプレーして楽しんでください。
ご冥福をお祈りいたします。