生きてりゃ楽しい事もあるって!

生きてりゃ楽しい事もあるって!

騙されやすく恋愛も浮気されてばかり…死んだら楽かなと思った事も
ある。でも人生をふり返ると「面白く感動した体験」の方が多い事に
気づいた。おかげで今は「生きてば楽しいこともある」と思う毎日。
ここでは人生の体験を通じて考えさせられた事をお伝えします。

『素晴らしき人格者』

 十数年ぶりに同業者の仲間三人と再会して温泉地に旅行へ行った。フリーランス時代の楽しい仕事の思い出話で大いに盛り上がったものだ。十数年も会っていないので、みな老け顔になっていたが、性格だけは変わっていなかった。

 

 

 メンツの一人に編集者のS氏がいるのだが、若い頃はこの人と仕事以外にもプライベートで付き合いが深かった。というのも、この人を結構気に入っていたからだ。

 肌が真っ白で、少々カマっぽい喋り方をするのが特徴。そのため周囲から「キモイ」と言う人もいた。だが、性格は温和で優しく弁が立ち、面倒見のいい善人タイプ。これで顔が良ければ絶対モテていただろう。

 

 友だちも多く、同業者からも慕われ、何よりも面倒見の良さから多くの人たちから相談を持ちかけられたりしていた。私自身も人から屈辱を受けて悔しがっていたときに、S氏の前で心境を吐露し涙したことがある。

 相談を持ち掛けるのはほとんどが女性。慰めるのが上手いのかもしれない。悩める女性とホテルに3日間閉じこもり、話し相手をしてやったというエピソードも持っている。野心などないので手を出していない。エロ本雑誌を手掛けるスケベさんなのにだ。

 

 S氏は決して人の悪口を言ったりしない。物事や出来事に批判することもない。毒を吐かないのである。だから好かれるのかなと思う。そんなS氏と行動を共にすると気が楽になれる。なぜなら私は、そのときだけ毒を吐きまくれるからだ。自分は基本善人に属する部類だと思っているが、たまには悪態をつくなどしてデトックスしないと善人が持続できない。

 

 心にもないことや本当にそう思っていないことなど、S氏と一緒にいるときはわざと何かについて悪口を言う。そうすると必ず「やめなさい」「よしなさい」とツッコんでくれる。マジでいさめるのではなく、軽いノリで言ってくる。だから、私ら二人のやり取りを見て、周囲の者は「ボケとツッコミの漫才みたい」と言われたものである。

 

 

 人はたまには毒を吐かなければいけないと思っている。どんな善人でも心の中に不満を持っている。「ばかやろう! ふざけるんじゃない!」と思うことがある。だが、善人がゆえに口に出せずにいる人が多い。だから、善人でいられるのだろうが。

 しかし、デトックスしないと自身の心身が持たない。美女だってウンコをしないと吹き出物だらけのデブになる。それと同じだ。私は若い頃から人前では好青年に見られていたが、これもS氏と一緒にいるときにわざと毒を吐かせてもらったおかげだと思っている。

 

 

 だから、そんなS氏が好きだったし尊敬もしていた。みんなから博愛主義者と言われていたのも頷けた。しかし、久しぶりの再会で「?」と思えることが多くあった。S氏の性格は変わっていない。どうやら「以前の博愛主義者とは違うのではないか」と、私自身が気づき始めたからだ。

 

 

 

『モテない理由が分かった』

 一番の違和感は擁護のし過ぎだった。例えば、今回の旅行先は比較的リーズナブルなホテルだったので、各所にツッコミどころが多くあった。

 部屋の換気扇が埃だらけだったり、ゴミが落ちたままになっていたり……。いくら安いホテルとはいえ、サービス業である限り最低限のことはするべきである。そのことを批判すると、以前は笑いながら「やめなさい」と言うだけで終わり、こちらも「しょ~がねぇな~」で収まっていた。

 ところが、「従業員が少ないんだろうから仕方ないよ」と分かりきったことを言う。こちらが「サービス業として清掃ができていないのはあるまじきことだ」と言っても、なおホテル側を弁護する。ホテルが仕事の根本を覆しているのに、それを擁護するのは間違っている。

 

 フロントの対応も良くなかった。愛想がなく機械的な応対であり、社員教育ができていないことが見て取れた。地元民がパートで来ているという感じ。せめて周辺地域の最低限のことは知っておくべきなのに曖昧だったりする。また、こちらから聞かなければ何も教えてくれないというのも不親切。そのためどれだけ時間的な不利益を被ったことか……。

「さすがにこれは不親切だよな」と、このときはマジでムカついた。だからS氏には同意して欲しかった。いつもの「よしなさい」ではなく一緒に怒って欲しかった。

 なのに「しっかり調べてこなかった私達が悪い」と言う始末。どこまで擁護すれば気が済むんだ? フロントよりもS氏にムカついた。

 

 こういう出来事がしばしばあった。以前はこうではなかった気がする。擁護の仕方が間違っているような気がした。この十数年でS氏が変わったのか? 私の受け止め方が変わったのか?

 会話の節々で違和感を覚えることが多くなり、批判すべき相手を擁護することも優しさだと思っていることが分かった。確かにそれもあるだろうが、相手の立場を思いやるということを履き違えて解釈する傾向にもあった。

 

 それを裏付けたのが共通の知人であるH氏とのエピソード話だった。H氏は仕事も性格もとても真面目なナイスガイ。だが、妻が最悪でホストに狂って1000万の借金を作り、子どもを捨てて出て行った。H氏は借金を肩代わりして返済しつつ子どもを育てることになったのである。

 そんなある日、S氏の元にH氏から電話があったという。妻のことで相談があったらしい。だが、電話の途中でガチャ切りされたという。H氏に何を言ったのかというと……

「今回のことは君にも原因があったんじゃないの?」

 その瞬間、H氏はキレたのだ。

 

 H氏に落ち度はひとつもない。それは事情を知っている仲間内では周知されていることで、同情するしかないほどだった。H氏がキレるのも無理はない。

 殺人事件があったとして、善良な女子高生が通り魔に殺されても、遺族に対して「殺されるのは油断があったからだ」というに等しい。そりゃあ怒って当然だ。H氏の気持ちをまるで考えていない。

 だが、S氏はなぜ相手が怒ったのかを未だに理解していない。「なぜ突然切ったんだろう。なぜあれ以来連絡をくれないんだろう」と不思議がっていた。

 

 ……S氏は悩める人に対して「寄り添う」という気持ちが欠けていたのである。

 

 

 大人になると丸くなるというが、S氏の場合は逆だった。理屈っぽくなっており、持論を曲げない頑固者になっていた。

「優しい・同情しやすい・面倒見がいい」ことを自負するようになり、人に相談されるような人格者であるという思い込みが強くなり過ぎ、自分の言うことは絶対に正しいと思うようになっていたのである。

 それゆえに説教くさくなっており、強引に説得させようとする傾向にもあった。だから相談する側も辟易するのである。

 

 そこで分かった。優しいし、同情もしてくれるし、いつでも相談に乗ってくれるし、飲みにも付き合ってくれるS氏。なのにモテないのは話の最中に飽きられるからだと。特に女性に対しては「俺に頼ってくる」という思い上がりから軽く説教を交える傾向にあった。

 それが年齢を重ねるうち、仲間の男たちにも同じ姿勢で臨むようになっていたのだ。批判すべき相手を徹底的に擁護して、持論を曲げずに説得させようとする。……これはもう博愛主義とは言えない。単なる優しさの勘違い。

 このような寄り添う心を持たない勘違いした博愛主義者は多いのではないだろうか。心根は良い人なのに残念だ。

 

 

[編集後記]

 S氏が良い人なのには変わりがない。昔の恩も忘れてはいないので大切な仲間であることに変わりはない。プライベートのごちゃごちゃが片付いたら元の本物の博愛主義者に戻ると信じている。

 ところで、優しいのにモテない人……あなたの周りにも心当たりないですか? 男女間における恋愛も同様だよ。