ニワトリをしめるとき
前妻との間の娘に会いに、前妻の実家に4日間滞在した。
前妻は中国人なので、その実家は中国の東北地方の農村地帯にある。
前妻の実家の皆さんは、離婚という出来事があった後も、僕を変わらず受け入れてくれている。
今回、元義父さんが飼っていたニワトリを一匹だけ売らずに残してくれていて、僕のためにしめてくれた。
肉を食べる、生命を頂くってこういうことなのだなと理解した。
以下、備忘録。
・羽を抜く前にお湯に晒す。抜きやすくなる
・抜いても残る産毛のようなものは、ガスコンロの火であぶればチリチリになって燃えてなくなる
・心臓と腎臓は食べるために残すが、肝臓は食べない。
・中華包丁で解体していく
夜はオンドルの上のせんべい布団で寝ながら、Kindleで司馬遼太郎「昭和という国家」を読んだ。
戦中に司馬遼太郎が徴兵され中国の旧満州にいたとき、何か困ったことがあったらしい。
彼はこう書いていた。
そのときに中国の人たちは親切にしてくれました。
私は占領軍の一兵士ですが、そうとは見ずに人間としてしか見ない。
本当の人間とはこういうものかと思いましたね。もし自分が生きながらえることがあったら、外国人には親切にしなければいけないと思いました。
満州の農民から受けた感激と恩によるものであります。ここで言う満州の農民というのが、要するに私のアジアであります。
中国、旧満州の農民たちが気持ちのいい人たちというのは本当だと思う。
乾いた大地で、厳しい冬を乗り越えながら、植物や動物を相手に仕事をすると、ああいうふうになれるのだろうか。
日本人はもちろん、都市部に住む中国人ですらなかなか、ディープには知らない・知れない事実なのだと思うが。