他人のために働きたいという気持ち
藤野英人さんの本を二冊読んだ。
読んで色々刺激を受け、頭の中でモヤモヤとしていたことが、クリアにまとまった。
自分のためではなく、他人のために働きたいと思えるような、会社や国にできるか。
このことが、大きな成果を上げる上でなによりも重要。
他人のために働くとは、
お金やポジションのためではなく、
仕事の成果や組織や社会など、
他人のために働くこと。
例えば、職場のゴミ箱があふれている。
これを、やりすごすのか。
それとも、自分の仕事だと思って取り組むか。
他の例。
何人かでやっているプロジェクトで、大きな穴をみつけた。
この穴を埋めないとプロジェクトはおそらく失敗するが、
自分の担当分野ではないところに穴が空いている。
担当分野の人にこの穴の話をしようにも、きっと感情的に反発されるのがオチ。
このときに、やりすごすのか。
それとも、リスクを取って穴をふさぎにいくのか。
誰のために働くのかが問われている。
自分のためではなく、他人のために働こうと思えるような、会社や国であるかどうかで、
大きな成長・成果をもたらせる会社や国かどうかが決まる。
国も会社も、若いときは優秀な人に権限が与えられる。
国も会社も、若いときは真に必要な施策のコストを、みなで分担して負担しようと思える。
他人のために働きたいという気持ちがみんなに充満していれば、
自分の利害を超えて人々は動き、
国や会社といった組織の成長・成果につながり、
それはやがて個人に帰ってくるのだと思う。
では、次の問いは、どうやったら他人のために働こうという想いが築けるのか。
一つは、他人のために働きたいという想いの基盤、
すなわち信頼関係を、コストをかけてつくろうとしているかどうか。
信頼していない他人のためには、誰も働かない。
フィリピン人がいい例。
フィリピン人は家族をとても大事にする。
なぜ大事にするかというと、家族しか信用できるものがないからだ。
政府は腐敗でいっぱいで、失業保険のようなセーフティネットもない。
フィリピンには、明治維新も高度成長もこれまでなかった。
「フィリピンの将来のために」 で努力しても、成果が出る保証なんてない。
家族という他人か、国という他人かでいうと、
フィリピン人は日本人よりも家族をずっとずっと大事にし、
日本人はフィリピン人よりも国をずっとずっと大事にしている。
あたりまえだけど、信頼関係がない他人のためには、働けない。
だから信頼関係をどうやったら築けるか、だけど、
最低限の前提として、そこにコストをかけるかがある。
一般的に、状況のタフさと比べてコミュニケーション量が不十分だと、
信頼することが難しくなると思う。
業務量が多かったり、
上司が外国人だったり外国に行きがちだったり、
信頼関係が壊れたしまった環境だったり。
タフな状況であればあるほど、コミュニケーション量が大事になる。
短期的な成果を出すのを我慢して、長期的な成果のために、
コミュニケーションに時間を割くという決断ができるかどうかが、
信頼関係が築けるかどうかが分かれると思う。
あとは、これをやればみんなの信頼が増す何かを探し続けられるかどうか。
見つかったらコストをかけて実現させるということを、できるかどうか。
このように、信頼関係を築くためのコストをかけるというのが第一歩だと思う。
いったん信頼関係ができあがったら、
他人のために働きたいという想いを醸成するために必要なのは、トップの姿勢だと思う。
率直でグサリとくるフィードバックを、積極的に探し求めに行けるか。
自分の弱みを素直に認め、改善していこうと努力できるか。
他人のために働いてもらった人がいたら、その瞬間を見逃さず、感謝することができるか。
スキルを持った人を抜擢して権限を与える努力を怠らないか。
必要な施策がなぜ必要か、理解を得る努力を怠らないか。
他人のために働こうという想いをもった人に、無理をさせ続けないよう調節する努力ができるか。
トップ本人が、自分のためではなく他人のために働こうとしているか。
そういう姿勢を示せるトップがいれば、組織は大きく育つのだと思う。
そういうことができないと、組織や社会は育たないのだと思う。
会社の成長の上限は社長の器できまるとよく言われるが、本当にそのとおり。
まだまだ自分はできていないことが多い。
そのせいでスタッフのみんなに苦労をかけていることもたくさんある。
もっといい社長になろうと思う。
読んで色々刺激を受け、頭の中でモヤモヤとしていたことが、クリアにまとまった。
自分のためではなく、他人のために働きたいと思えるような、会社や国にできるか。
このことが、大きな成果を上げる上でなによりも重要。
他人のために働くとは、
お金やポジションのためではなく、
仕事の成果や組織や社会など、
他人のために働くこと。
例えば、職場のゴミ箱があふれている。
これを、やりすごすのか。
それとも、自分の仕事だと思って取り組むか。
他の例。
何人かでやっているプロジェクトで、大きな穴をみつけた。
この穴を埋めないとプロジェクトはおそらく失敗するが、
自分の担当分野ではないところに穴が空いている。
担当分野の人にこの穴の話をしようにも、きっと感情的に反発されるのがオチ。
このときに、やりすごすのか。
それとも、リスクを取って穴をふさぎにいくのか。
誰のために働くのかが問われている。
自分のためではなく、他人のために働こうと思えるような、会社や国であるかどうかで、
大きな成長・成果をもたらせる会社や国かどうかが決まる。
国も会社も、若いときは優秀な人に権限が与えられる。
国も会社も、若いときは真に必要な施策のコストを、みなで分担して負担しようと思える。
他人のために働きたいという気持ちがみんなに充満していれば、
自分の利害を超えて人々は動き、
国や会社といった組織の成長・成果につながり、
それはやがて個人に帰ってくるのだと思う。
では、次の問いは、どうやったら他人のために働こうという想いが築けるのか。
一つは、他人のために働きたいという想いの基盤、
すなわち信頼関係を、コストをかけてつくろうとしているかどうか。
信頼していない他人のためには、誰も働かない。
フィリピン人がいい例。
フィリピン人は家族をとても大事にする。
なぜ大事にするかというと、家族しか信用できるものがないからだ。
政府は腐敗でいっぱいで、失業保険のようなセーフティネットもない。
フィリピンには、明治維新も高度成長もこれまでなかった。
「フィリピンの将来のために」 で努力しても、成果が出る保証なんてない。
家族という他人か、国という他人かでいうと、
フィリピン人は日本人よりも家族をずっとずっと大事にし、
日本人はフィリピン人よりも国をずっとずっと大事にしている。
あたりまえだけど、信頼関係がない他人のためには、働けない。
だから信頼関係をどうやったら築けるか、だけど、
最低限の前提として、そこにコストをかけるかがある。
一般的に、状況のタフさと比べてコミュニケーション量が不十分だと、
信頼することが難しくなると思う。
業務量が多かったり、
上司が外国人だったり外国に行きがちだったり、
信頼関係が壊れたしまった環境だったり。
タフな状況であればあるほど、コミュニケーション量が大事になる。
短期的な成果を出すのを我慢して、長期的な成果のために、
コミュニケーションに時間を割くという決断ができるかどうかが、
信頼関係が築けるかどうかが分かれると思う。
あとは、これをやればみんなの信頼が増す何かを探し続けられるかどうか。
見つかったらコストをかけて実現させるということを、できるかどうか。
このように、信頼関係を築くためのコストをかけるというのが第一歩だと思う。
いったん信頼関係ができあがったら、
他人のために働きたいという想いを醸成するために必要なのは、トップの姿勢だと思う。
率直でグサリとくるフィードバックを、積極的に探し求めに行けるか。
自分の弱みを素直に認め、改善していこうと努力できるか。
他人のために働いてもらった人がいたら、その瞬間を見逃さず、感謝することができるか。
スキルを持った人を抜擢して権限を与える努力を怠らないか。
必要な施策がなぜ必要か、理解を得る努力を怠らないか。
他人のために働こうという想いをもった人に、無理をさせ続けないよう調節する努力ができるか。
トップ本人が、自分のためではなく他人のために働こうとしているか。
そういう姿勢を示せるトップがいれば、組織は大きく育つのだと思う。
そういうことができないと、組織や社会は育たないのだと思う。
会社の成長の上限は社長の器できまるとよく言われるが、本当にそのとおり。
まだまだ自分はできていないことが多い。
そのせいでスタッフのみんなに苦労をかけていることもたくさんある。
もっといい社長になろうと思う。