成果をよりコントロールできるようになる | フィリピンで働くシリアル・アントレプレナーの日記

成果をよりコントロールできるようになる

仕事を覚えるとは、つまるところ、成果をよりコントロールできるようになること、だと思う。

成果を出せるかどうかは、つまるところ、運に頼る部分が大きい。
何かを売ってくるときも、
何かをつくるときも、
何かを調達しているときも。

けれど、いろんな事態が起きても、
「想定の範囲内」
って言えるかどうか。

様々なリスクを事前に織り込んでいけるかということと、
予期していなかったイベントに対して柔軟に対応していけるか。

仕事を覚えれば覚えるほど、成果をコントロールしやすくなる。


だから、逆に言うと、
「任された責任を果たせたかどうか」 は、
ひとまわりスケールが小さい話だ。

責任が適切に設計されていたら話は別なんだけれど、
責任が適切に設計できる仕事って、不確定要素の小さい仕事なわけで、
つまりはルーティーンに近いわけ。

責任を適切に設計する努力は着々と続けるべきだが、
一方で、自分が任された責任にこだわりすぎるのもおかしい。

例えば、
「これは自分が任された責任の範囲かどうか」 とか、
「自分は、任された責任を果たしたかどうか」 とか、
こういうことを、必要以上に気にするのはおかしい。

「自分は成果を出すのに貢献しているか」 
つまり、
「自分はどれだけ成果をコントロールできているのか」
一番気にすべきなのはここのはず。

「任された責任は果たしましたが、成果は出せませんでした」 を繰り返す人とは、
だれしもが、あまり一緒に働きたくはない。

執着すべきは、成果であって、責任ではない。
もっと言うと、誰かが成し遂げたいと思っていることを手助けすることに、執着すべき。

相手のことを思いやれる人ほど、成果に執着できる人で、つまりは、仕事ができる人なのだと思う。

あああ

ベンチャーでは、という限定つきだね。


大企業ならば、
「任された責任は果たしましたが、成果は出せませんでした」 
でも、十分にやっていけると思う。

過去の遺産があるから。

ただ、ベンチャーは、新しいものをチームワークで作る場所。
相手のことを思いやれる人、成果に執着できる人が、仕事ができて、新しい価値をつくっていける。