秋葉原とシリコンバレー | フィリピンで働くシリアル・アントレプレナーの日記

秋葉原とシリコンバレー

友人のMixi記事経由で面白いブログを読んだ。

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俺はオタであり、横浜に住んでいたころにはそれなりに秋葉原にも行っていた。実際問題としては、秋葉原にあるもののほとんどは横浜でも入手できるのだけれど、ただひとつ、決定的に秋葉原でなければ入手できないものがあった。それはオタという文化をとりまく最先端の時代の空気のようなものだ。それは、メッセサンオーととらのあなが、新作のえろげにつけるおまけの違いでもあるし、中古価格の店舗ごとの違いだし、通り裏の部品屋の片隅に転がっている色あせた旧作のえろげでもある。あるいは秋葉原を歩く人々の服装や、外人オタの意外なほどの多さだ。そうしたもののすべては、情報としては地方にいても入手することはできる。しかしそれらのすべてを皮膚感覚として吸収できることと、PCのモニタに映し出されるニュースサイトのリンクとして把握することとでは、まったく別の話だ。情報は常に個別のものとして提供され、それを統合するのは読む人の仕事だが、現場の秋葉原には、あたりまえのことだが「すべて」がある。知性のはたらきではない別の感覚器官によって「秋葉原」の、ひいてはオタ周辺を取り巻く文化の「現在」を吸収することは、もはや情報の入手とはまったく別の次元にある。乱暴で大雑把な比喩であることを承知でいうのならば、通信教育と実際の学校に通って勉強することと、その両者にある違いほどに、この断絶は大きい。ちなみに、この場合、オタ文化限定で「都会」は秋葉原であり、「田舎」は横浜だ。

田舎でコンビニを開いた都会育ちの人が思ったこと
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この文章は、ベンチャー起業家でシリコンバレーを目指す人がなぜ多いのかってことを表していると思う。
やっぱりシリコンバレーがベンチャーの本場だと思う。僕はそこに行くことはせず、東京・フィリピンという辺境で起業することを選んだ。だけど、シリコンバレーへの羨望ってのはずっと捨てきれずにくすぶっている。
まぁ、辺境にいるというのも悪いことではない。だって10年後に、はたしてどこが辺境になっているかどうかなんてわからないからね。一番いいパターンは、これから勃興する辺境にいるということだと思う。少なくともスカイプは、アメリカでは開発され得ず、ヨーロッパでしかつくれなかったサービスだ。
どの辺境が今後伸びていくかなんて、誰もわからない。神のみぞ知る、だ。僕は自分を努力家だと思うが、そういう意味では、運命論者だ。自分にできることは、目の前のことにベストをつくすことだけだ。