無意識の調節機構
(今日は汚い話をします。 恐縮です)
中国から帰ってきました。
中国でいたところは、すんごい田舎だったので、
トイレは当然ボットン便所でした。
それも、日本にあるような屋内または離れにあるボットンではなく、
屋外に穴を掘って、それを壁で囲っただけ、というものでした。
そういうところに2週間いたんで、
毎日屋外のボットン、という生活にもだいぶ慣れました。
で、話は変わるんですが、
学校からの帰宅途中とか、ときどき、
トイレに行きたくてたまらなくなるときってありますよね
(しかも、大きい方で。)
あのとき不思議なのは、
・家から遠くにいる時は、便意はそれほど強くない。
・家に近づくほど、便意は強くなる。
ということ。
「トイレから遠い所にいるぞ → 我慢してあげよう」
「トイレに近くなってきた → 出せ出せ」
そんなふうな、無意識の調節機構が、体の中にあるのかもしれないです。
で、中国から帰ってきたその日。
空港から電車に乗り、自宅最寄り駅に着きました。
で、スーツケースをひきずりながら家まで歩いていくと、
途中で、トイレに行きたくなりました。
(しかも、大きい方で。)
まだ家から遠かったんで、当然、無意識の調節機構が働いてくれて、
便意をセーブしてくれる・・・ はずだったんですが、
2週間のボットン生活に慣れた身としては、
「屋外にいるぞ」 → 「トイレOK!」 → 「よし、出せ出せ!」
という指示が体の中をかけめぐり、
体の中は臨戦態勢。
家から遠いのにもかかわらず、
かなーり
かなーり
つらかったです。
都心の大通りを歩いていて、
植え込みとかをみるとムズムズしてくるんですが、
「イヤ、ここは東京都心だから!
そこ、トイレじゃないから!」
って、自分の体にツッコミを入れていました。