「この国を作り変えよう 日本を再生させる10の提言」
マネックスの松本さん、経営共創基盤の冨山さんという、最強の二人が書いた本、
「この国を作り変えよう 日本を再生させる10の提言
」を読んだ。
最高! すごいっす!
日本が抱える問題について取り扱った本としては、過去読んだ中で間違いなく最高の本です。
以下、抜粋。
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少子化が進むと、国の経済力は確実に低下します。日本のGDPの6割弱は個人消費なので、人口が減れば需要がそれだけ減少してしまうからです。もちろん、内需が減った分を輸出でカバーするということも考えられますが、日本の輸出があまりに拡大すれば、国際社会がそれを許さないでしょう。それに、輸出先の生産力だってどんどん上がっているわけですから、今後、輸出だけで日本経済を支えるのは、非常に厳しいといえます。
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よく、格差を市場経済における弱肉強食の結果だという人がいますね。たしかに市場経済が機能していれば、そこには競争力格差が生じます。しかし、いま日本で問題となっている格差の多くはそれではない。この労働市場の正規社員と非正規社員のように、反市場経済的な制度や規制によって発生する格差のほうなのです。・・・ 「格差があるのは市場経済のせい」というすり替えを行って、搾取されている人たちの目を真の原因から巧妙にそらし、意図的に格差の温存を図っているのです。
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後期高齢者の医療保険問題でも、結局いまの議論というのは、老人を切りすてるのかという感情的なところに終始するだけで、それではあまり意味がありません。そうではなく、それこそいまの七十五歳と、三十年後の七十五歳を比較して、どちらがどれくらいかわいそうかということを論点にして初めて、生産的な議論になるのです。
ちなみに、人口動態というのは未来予測の中で一番当たりますから、医療保険がいまの世代間賦課方式のままなら、ロストジェネレーションが七十五歳になったときの老人医療の悲惨さは、現在の比ではないと思います。
金融資産をもっている中高年層は、その資産を使い切るだろうし、その一夫お出、若い世代をみていると、国際競争力を高くする訓練や努力が圧倒的に足りないので、一人あたりの国民総生産はいまよりさらに下がる。もちろん所得水準も下降します。こう考えてくると、個人も企業も、全体的に赤字構造になっていくのは避けられないといえるでしょう。
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日本というのは国もすごい借金を抱え、個人のレベルでも確実に貧乏になりつつあるのは間違いありません。それなのに、指導者層にも、それから国民にも危機感がないというのは、私もそのとおりだと思います。結局、日本はまだ、いろいろな意味でトゥー・リッチなのです。
実際、このまま何もしないで落ちていっても、十年や二十年はいまのぬるま湯状態を続けられるだけの余裕が、この国にあるのは事実です。だからといって、このままでいいということはありません。二十年はもってもさすがに三十年はもたないからです。
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地方と中央の格差問題というのは、世代間対立のすり替えに他ならないのです。限界集落を維持するためのコストを考えてみてください。その地域の意住んでいる人たちだけでは、絶対に負担しきれないのは明白です。では、その社会コストはだれが支払うのかと言ったら、都会に住む人が税金というかたちで賄わざるを得ないというのが現状です。それは明らかに都会の若者から地方の高齢者へ向けての所得移転です。
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特に、最後の一章は圧巻です。
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中でも私たち二人が強く意識せざるを得なかったのは、「世代間の利害対立」という、今、マスコミも含めて、日本で指導的な立場にいる多くの人々が、「見たくない現実」であるがゆえに目をそむけている極めて本質的かつリアルな問題だ。社会保障制度の問題、中央と地方の問題、既得権益と格差の問題・・・民主制の枠組みの中で「多数派」の中高年世代が、「少数派」の若者や子供たちの権利や利益を、どのように公正に政策へ反映するのか?
市場経済が個々人の経済的な「エゴ」を基本的に善ととらえるごとく、民主主義政治も個々人の政治的な「エゴ」の主張を肯定することを基本前提としている。これだけの急激な少子高齢化が平和のうちに進展する日本は、今の時代の「最大多数」の幸福と未来世代の「最大幸福」との深刻な相克という、おそらく世界の近代民主制が初めて挑戦する重い課題に直面している。世界レベルで問題となっている環境問題やエネルギー資源の枯渇問題においても、その背後に、いまだこの世に生まれざる世代の声をどう現在の意思決定過程に反映されるかという、近代民主主義制度を確立した時点では想像し得なかった重大な構造矛盾が横たわっているのだ。
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上記抜粋部分は、一字一句に非常深い意味が込められている、無駄な贅肉がまったくない文章。すさまじい読書量、経験、そして問題意識の積層があって初めて編み出される文章だと思う。
ただし、言いっぱなしでは世の中は動かない。誰を敵とするか・しないかの見定めは非常に重要。 だから二人は、フォローは忘れていない。そういう部分は大人。
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少なくとも今、公的セクター、民間企業を問わず、実際に力を持っている中高年世代が、「見たくない現実」を見据え、いかなる解決を自らの決断と行動で将来世代に提示していけるか・・・・ 「団塊の世代」に代表される、戦後高度成長期の比較的良き時代を過ごしてきた私たち中高年世代の品格、品性が厳しく問われているのだ。これは自分自身とその周辺という狭い空間と時間を超えて、どこまで大きな時空を意識できるかという「公共心」の問題と置き換えてもいい。そのことを想う時、私自身はやや暗澹たる気分にならざるを得ない。国のレベルでも、地方のレベルでも、そしてマスメディアや民間企業レベルでも、皆、なぜこうも「不都合な真実」、「痛みを伴う本質的な解決(苦い良薬)」から逃げるのか。そして責任を他人になすりつけるのか。ある時は政府、ある時は大企業、またある時はマスコミ、そして最後のスケープゴートはいつも市場経済と外国勢力・・・・・・問題の本質のほとんどが自分たち自身にあるにもかかわらず。
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いやー 富山さんに総理大臣をやってもらいたい! と強く思う。
「この国を作り変えよう 日本を再生させる10の提言

最高! すごいっす!
日本が抱える問題について取り扱った本としては、過去読んだ中で間違いなく最高の本です。
以下、抜粋。
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少子化が進むと、国の経済力は確実に低下します。日本のGDPの6割弱は個人消費なので、人口が減れば需要がそれだけ減少してしまうからです。もちろん、内需が減った分を輸出でカバーするということも考えられますが、日本の輸出があまりに拡大すれば、国際社会がそれを許さないでしょう。それに、輸出先の生産力だってどんどん上がっているわけですから、今後、輸出だけで日本経済を支えるのは、非常に厳しいといえます。
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よく、格差を市場経済における弱肉強食の結果だという人がいますね。たしかに市場経済が機能していれば、そこには競争力格差が生じます。しかし、いま日本で問題となっている格差の多くはそれではない。この労働市場の正規社員と非正規社員のように、反市場経済的な制度や規制によって発生する格差のほうなのです。・・・ 「格差があるのは市場経済のせい」というすり替えを行って、搾取されている人たちの目を真の原因から巧妙にそらし、意図的に格差の温存を図っているのです。
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後期高齢者の医療保険問題でも、結局いまの議論というのは、老人を切りすてるのかという感情的なところに終始するだけで、それではあまり意味がありません。そうではなく、それこそいまの七十五歳と、三十年後の七十五歳を比較して、どちらがどれくらいかわいそうかということを論点にして初めて、生産的な議論になるのです。
ちなみに、人口動態というのは未来予測の中で一番当たりますから、医療保険がいまの世代間賦課方式のままなら、ロストジェネレーションが七十五歳になったときの老人医療の悲惨さは、現在の比ではないと思います。
金融資産をもっている中高年層は、その資産を使い切るだろうし、その一夫お出、若い世代をみていると、国際競争力を高くする訓練や努力が圧倒的に足りないので、一人あたりの国民総生産はいまよりさらに下がる。もちろん所得水準も下降します。こう考えてくると、個人も企業も、全体的に赤字構造になっていくのは避けられないといえるでしょう。
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日本というのは国もすごい借金を抱え、個人のレベルでも確実に貧乏になりつつあるのは間違いありません。それなのに、指導者層にも、それから国民にも危機感がないというのは、私もそのとおりだと思います。結局、日本はまだ、いろいろな意味でトゥー・リッチなのです。
実際、このまま何もしないで落ちていっても、十年や二十年はいまのぬるま湯状態を続けられるだけの余裕が、この国にあるのは事実です。だからといって、このままでいいということはありません。二十年はもってもさすがに三十年はもたないからです。
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地方と中央の格差問題というのは、世代間対立のすり替えに他ならないのです。限界集落を維持するためのコストを考えてみてください。その地域の意住んでいる人たちだけでは、絶対に負担しきれないのは明白です。では、その社会コストはだれが支払うのかと言ったら、都会に住む人が税金というかたちで賄わざるを得ないというのが現状です。それは明らかに都会の若者から地方の高齢者へ向けての所得移転です。
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特に、最後の一章は圧巻です。
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中でも私たち二人が強く意識せざるを得なかったのは、「世代間の利害対立」という、今、マスコミも含めて、日本で指導的な立場にいる多くの人々が、「見たくない現実」であるがゆえに目をそむけている極めて本質的かつリアルな問題だ。社会保障制度の問題、中央と地方の問題、既得権益と格差の問題・・・民主制の枠組みの中で「多数派」の中高年世代が、「少数派」の若者や子供たちの権利や利益を、どのように公正に政策へ反映するのか?
市場経済が個々人の経済的な「エゴ」を基本的に善ととらえるごとく、民主主義政治も個々人の政治的な「エゴ」の主張を肯定することを基本前提としている。これだけの急激な少子高齢化が平和のうちに進展する日本は、今の時代の「最大多数」の幸福と未来世代の「最大幸福」との深刻な相克という、おそらく世界の近代民主制が初めて挑戦する重い課題に直面している。世界レベルで問題となっている環境問題やエネルギー資源の枯渇問題においても、その背後に、いまだこの世に生まれざる世代の声をどう現在の意思決定過程に反映されるかという、近代民主主義制度を確立した時点では想像し得なかった重大な構造矛盾が横たわっているのだ。
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上記抜粋部分は、一字一句に非常深い意味が込められている、無駄な贅肉がまったくない文章。すさまじい読書量、経験、そして問題意識の積層があって初めて編み出される文章だと思う。
ただし、言いっぱなしでは世の中は動かない。誰を敵とするか・しないかの見定めは非常に重要。 だから二人は、フォローは忘れていない。そういう部分は大人。
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少なくとも今、公的セクター、民間企業を問わず、実際に力を持っている中高年世代が、「見たくない現実」を見据え、いかなる解決を自らの決断と行動で将来世代に提示していけるか・・・・ 「団塊の世代」に代表される、戦後高度成長期の比較的良き時代を過ごしてきた私たち中高年世代の品格、品性が厳しく問われているのだ。これは自分自身とその周辺という狭い空間と時間を超えて、どこまで大きな時空を意識できるかという「公共心」の問題と置き換えてもいい。そのことを想う時、私自身はやや暗澹たる気分にならざるを得ない。国のレベルでも、地方のレベルでも、そしてマスメディアや民間企業レベルでも、皆、なぜこうも「不都合な真実」、「痛みを伴う本質的な解決(苦い良薬)」から逃げるのか。そして責任を他人になすりつけるのか。ある時は政府、ある時は大企業、またある時はマスコミ、そして最後のスケープゴートはいつも市場経済と外国勢力・・・・・・問題の本質のほとんどが自分たち自身にあるにもかかわらず。
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いやー 富山さんに総理大臣をやってもらいたい! と強く思う。