問題解決能力の限界 | フィリピンで働くシリアル・アントレプレナーの日記

問題解決能力の限界

半年くらい前に、

複数のイシューを一挙に解決するソリューションというのは、
基本的にひらめきからうまれるものだと思う。

と書いた。

また、いまある人に連日作業をお願いしている。
レッスン体験をさらに充実させ、利用してくださる生徒様数をもっと増やし、教える講師の満足度も高める、という一挙両得を目指す施策をお願いしている。

そしてこの施策のもとになったアイデアだが、実は、問題解決のフローからうまれてこなかった。
さんざん問題解決についてのエントリを書いている割には・・・ だが、
ひとりで問題解決のフローをつくり、うんうん考えてみたが、
結局のところ、細切れでインパクトの薄いアイデアしか出なかった。

で、その作業をやってくれている人といろいろ議論していたんだけれど、
「そういえば半年前にいろいろ考えていたときの手書きのメモがあったよなぁ・・・」と見直してみると、
「おぉ これはいいアイデアだ。複数のイシューがいっぺんに解決できる!」 という風になった。

んじゃぁ、問題解決って役立たないかというと、全くそんなことはない。

例えば、今回取り組んでいるのは、半年前に考えたアイデアだが、半年前には結局実行しなかった。
なぜ半年前にすぐ実行しなかったかというと、
ひとつは、そのときにおいて優先順位が高い作業が他にあったから。 (社員採用とか)
でももう一つ理由があって、それは、そのアイデアの価値がわからなかったから。
 ・このアイデアは、うちのサービスにどう貢献するんだろう?
 ・他にもっと魅力的なアイデアがあるかもしれない

でもきちんと、事業についてのイシューツリーがあり、問題解決に沿って考えていると、次のようなメリットがある。
 ・そのアイデアの価値が評価できる
 ・他のアイデアのリストアップができる
 ・他のアイデアと価値を比較できる
 ・上記のアイデア価値評価を、社内の他の人と共有しやすい (→ つまり合意形成が容易で組織として動きやすい)

で、今日もうひとつ発見したのが、
 ・アイデアを磨き上げていきやすい
ということ。

もうちょっと具体的に言うと、
 1)アイデアの価値を共有しやすいので、アイデアの価値を真に理解した人で共同作業ができる
 2)アイデアの枝葉末節にまで、イシューベースの思考が徹底できるので、アイデアの合目的性が高まる

1)については、
どうしても僕の出したアイデアは、愛着があるあまり、アイデアを出した人のアイデアになりがち。
これはどういうことがというと、ひとりよがりになってしまったりとか、かんたんにできるところを難しくしてしまったり、などである。
これは、他人にそのアイデアを翻訳してもらう(=実際の形に落とすところは今全てお任せしている)ことで、回避するのが可能な問題ではある。
だが、そのとき問題になるのは、翻訳してくれる人が、そのアイデアの価値をどこまで理解してくれるかってこと。
もちろん、アイデアの価値を理解してくれやすい人に作業をお願いするのが重要だが、
そういう人を探せるかとか、探せたとしてもどれだけの時間で理解してもらえるかってところが大事になる。
だから、問題解決のフローで、アイデアの価値を共有しやすくしていることがとても大事になる。

2)については、
細かい機能とか見せ方を工夫するときに、
「なぜここはこうするの?」 という思考をつきつめていくことになるが、
問題解決フローをやっておくと、この思考がとてもしやすくなるのである。
なぜなら、「この問題を解決するためにこれをやっているんだよね、そうするとこうなるよね」
というのがスラスラ出てくるようになっているためである。 (=つまり「感覚」で処理する必要がなくなる)

ちょっと長い文章になってしまったが、言いたいのは、問題解決にべったりになってはいけないということだ。

・問題解決は問題解決でやっておく
・それとはまったく別で、アイデアについては自由に色々考える
・考え付いたアイデアを、問題解決フローにのっとって、評価・比較・共有し、形に落とす

という使い分けが重要だということだと思う。