GoodとGreatの境目 | フィリピンで働くシリアル・アントレプレナーの日記

GoodとGreatの境目

日本に帰ってきました。

僕が涙ぐんでしまったプレゼンテーション・ディスカッションを、
向こうで新入社員たちがしてくれたあと、
僕は短くこうスピーチした。

「みんな、プレゼンテーションをありがとう。」
「たいへんな一週間だったと思うけれど、
 君たちのプレゼンテーションで、
 僕はやはりGreat peopleを雇えたんだと再確認できた」
「9か月前、レアジョブが今よりももっと小さかったとき、
 僕はブログにこう書いたんだ、
 僕は、『Good peopleを雇いたくない』って。」

そこで、一人が質問した。

「Why?」

待ってました、とばかりに僕は答えた。

「それは、僕が雇いたいのは、Great peopleで、Good peopleではないから。」
「Great peopleを仲間に迎えることができて、本当に良かったと今日思った。」



改めてこのブログに書き起こすと、
ずいぶんクサイことをのうのうとしゃべっているなぁと思うが、
それが許される雰囲気だったと思うので、ご勘弁を。

さて、皆の前で Good / Great と言ったはいいが、
言った本人(=僕)は、
「ところで、GoodとGreatの境目は何だろ」 ってことをずっと考えていた。

で、思ったのが、

「言われたことができるかどうか」 は、Good / Badの境目で、
ここには、その人の能力がどれくらいか、ということが関係する。
賢いかとか、関係する経験・知識があるか、とかだ。
で、これは基本的に Good / Great とは関係がない。

むしろ、Good / Greatの境目は、ひとつには、
「言われたこと以外に、『こういうふうにした方がいいんじゃないか』と言えるかどうか」 
だと思う。

これが的確にできるようになるためには、次の二つが要求される
 ・何が問題か、どう改善できるか、についての的確な観察力・分析力
 ・自分でアクションをとるという積極性・勇気 

これは、ほとんどの会社でできているようで、できていない。
たとえば、次のような状態にあるからだ。
 ・「こういうふうにすればいいのに」という案の大半が、実際には使い物にならない
 ・「こういうふうにすればいいのに」という話が下にたまり、上層部に伝わらない

で、「『こういうふうにした方がいいんじゃないか』と言えるかどうか」 をさらに一歩進めると、
「その『こういうふうにした方がいい』を実行できるか」 というレベルになる。
こちらはより難しく、さらに高度な分析力や積極性が求められる。


で、ひるがえってレアジョブの話だが、
フィリピンでフルタイムスタッフを採用する際に、無意識にCriteria(条件)としていたのが、
 「言われたこと以外に、『こういうふうにした方がいいんじゃないか』と言ってきたかどうか」 
 「そしてそれを実行していたかどうか」
だった。

「なるほど!」 とこっちをうならせるようなことを言ってくる講師は、
分析力・観察力が鋭い証拠だし、
上に嫌われるリスクがとれる勇気があるともいえる。
お願いした以上のことをやってくる人は、積極性にあふれているわけだ。

だから、そういう人と接していると、僕は、
採りたくて採りたくてしょうがない
という状態になり、採りにいったってことになる。

もちろん、うちのスタッフも、まだ不十分なところがいっぱいあり、
(その分析じゃぁ甘いよ、すぐ実行に移せないね、みたいな)
だから問題解決のトレーニングで、かなりReadyな状態に持っていけたので、
とても良かったと思っている。
それに、みんなが熱く議論しているのを見て、
ああこれからはこいつらが「こうした方がいい」をこうやって実行していくんだなぁ
としみじみ思って、だからちょっと涙ぐんだわけだ。


トヨタが強い本当の理由は、Greatな人材を、工場の現場から本社まで幅広く量産していく仕組みにある。
みたいな文章をどこかで読んだ覚えがある。

Greatな人材を集めただけでは、ただのGreatな人材の集まりにしかすぎない。
Greatな企業になるためには、Greatな人材を集める・育てる仕組みが必要になる。
だから、うちもそういう仕組みを持ちたい。
(参考)第8の習慣 「効果」から「偉大」へ