戦略コンサルやっていてよかったと思える瞬間 | フィリピンで働くシリアル・アントレプレナーの日記

戦略コンサルやっていてよかったと思える瞬間

同じファームの後輩とご飯を食べていたら、
「戦略コンサルやっていてよかった、
 と思える瞬間ってありましたか?」
と聞かれた。


「うーん、まだ誰もこれ知らないんだろうなっていう
 ファクトを導き出したり、グラフで示せたりしたときって
 うれしくない?」


「うーん、僕は、1年半やってきて、
 そういう瞬間って、まだないんですよね
 やれと言われたことをやる、ということを
 繰り返しているに過ぎないと言うか。」


「あ、戦略コンサルやってて楽しくないんだ、やっぱり」


僕の中で彼はずっと『最も早くやめそうな後輩』という気がしていたのだが、
そのときそれが何故だかそのときにわかった。


彼は、戦略コンサルやっていることに、メリットというか、
うれしさを感じていないのだ。


戦略コンサルやっている場合のうれしさを分類すると・・・


物的なうれしさ
 ・高い給料がうれしい

フィードバックに起因するうれしさ
 ・クライアントからのありがとうと言ってもらったときがうれしい
 ・上司からありがとうと言ってもらったときがうれしい
 ・自分のやったことの成果が目に見えたときがうれしい

自尊心が満たされるうれしさ
 ・自分が理想とするコンサルタント像の通りに行動できたときがうれしい
 ・社会的な評価が高い戦略コンサルタントであることそのものがうれしい

知的欲求が満たされるうれしさ
 ・誰もわからなかった問題が解けたときがうれしい
 ・全体像をきれいに整理できたときがうれしい
 ・自分が成長していく感覚がうれしい


高い給料だけでは、連日朝四時までといった激務にはなかなか耐えられない。
そして、実はフィードバックがもらえることが戦略コンサルには滅多にない。
だから、朝四時まで耐えられるには
自尊心が満たされるか、
知的なうれしさが満たされるか、
そのどちらかが必要になる。


しかしそのどちらとも、ある一定の素質が必要になる。


自尊心が満たされるためには、
特に、理想とするコンサル像なしに満たされるためには、
「戦略コンサルはえらい」
「自分は戦略コンサルをやっている」
「従って自分はえらい」
という三段論法を無邪気に信奉できる素質でないと無理。


知的なうれしさが満たされるためには、
「知ること大好き」「本読むの大好き」
といった強烈な知識吸収欲や成長欲が必要となる
知識欲求だけで朝四時まで働いてもいいという人には、
相当な素質(変態性?)が要求される
(ちなみに僕はこちら)


で、彼はそのどちらも無理だった。

「あの、ここで働いていて、全然成長しているって気がしないんですけど」

と言われた。


自分ではわからないかもだけれど、
学生時代と同じことを今やろうとしたら、
全然違うはずだよ、と言った。


情報を整理する力とか、
きちんとプランニングする力とかが身についているはず。
自分ひとりでできる仕事においては、
学生時代と何も変わらないだろうけれど、
多人数でする仕事においては、
格段に役立てる範囲が違うはず。
情報共有の不足とか、認識の違いとか、
あの時点でこれをやっとけばよかったという後悔とか、
そういうのをだいぶ減らせているはず。


「今は面白さとか、メリット感じられなくても、
 やめないほうがいいよ」

と言っておいた。