日本の受験英語教育も捨てたもんじゃない | フィリピンで働くシリアル・アントレプレナーの日記

日本の受験英語教育も捨てたもんじゃない

僕は、英語は学校で勉強した。

だから、基本、文字から入って学習している。

だから、「音では覚えているけれど、読めない・書けない」という単語は英語にはほとんどない


けど、中国語は学校でよりも、耳で聞いて覚えた時間の方が長い

だから、「音では覚えているけれど、読めない・書けない」という単語が結構多い。


これ、中国人の友達とチャットしているときに問題になる。


友人のコメント欄に「表揚」と書いてあって、

あれ・・・なんだっけ?

あわてて辞書を引くと、

「ビャオヤン: ほめる」

そうだよー いつも口では言えてるのに、漢字だと読めてないし。。。


また、「今度一緒にご飯を食べよう」と打とうとして、

「今度」は「シャーイーツー」と言うんだけど、

何て漢字だっけかって悩む。。。

シャーイーは「下一」だけど、その後なんだっけ???

あわてて辞書を引くと、

「下一次: 今度」

そうだよー 「次」じゃんかよー 漢字忘れてるし。

英語と中国語、僕はスピーキングだけで言えば同じくらいの話せるけど、

英語は中高大での基礎があるぶん、

まだこれからもずいぶん伸びていく余地がある。

一方、中国語はここ数年全然伸びていない。

おそらく一生インチキ中国語止まりだろうと思う。


そういえば、友人の母親が興味深いことを言っていた。

「アメリカに赴任した家族がいて、

 奥さんは中高あまり英語勉強していなかったけれど、

 現地に慣れてすぐ英語覚えた」

「けれど、ある程度まで上達したらすぐ止まってしまった」

「旦那さんは、中高大としっかり英語を勉強していた」

「旦那さんは、最初なかなかうまくならなかったけれど、

 奥さんをじきに抜かして、ずっと高いレベルの英語力になって

 日本に帰って来た」


これは、旦那さんと奥さんの英語使用機会に差があるって話だけじゃなくて、

日本の受験英語教育も捨てたもんじゃないぜって話だと思う。


日本の受験英語勉強だけでは英語が話せるようになれないけれど、

そこで基礎を築いた人は、

あとちょっとの訓練で絶対に話せるようになれると僕は信じている