チンギス・ハーンの成功要因 | フィリピンで働くシリアル・アントレプレナーの日記

チンギス・ハーンの成功要因

日経新聞のチンギス・ハーンの連載が面白いので、

いろいろWikipediaで関連情報を読んでいたのですが、

あることに気づきました。



【仮説】


チンギス・ハーンが成功したのは、自分たちの軍事力を世界の最先端に押し上げたことではなく、当初から最先端であった軍事力の阻害要因を取り除いたことである



【ファクト】


チンギス・ハーンの時代、軽騎兵(騎馬+長弓)という最先端の軍事力を持っていたために、遊牧民は既に世界のどの軍事力よりも優位にあった
. ・技術の進歩により、中世において鐙(あぶみ)などの馬具が発達し、
.  馬上射撃の安定性が増した。これにより、軍事力の源泉が、古代の
.  重装歩兵から中世には軽騎兵(騎馬+長弓)へと移った
.    ・例: 主力の軽装騎兵によって敵を遠巻きにし、弓で攻撃して
.        白兵戦を避けつつ敵を損耗させる 等
.    ・参考:火薬の発明・鉄砲の普及の後は、最先端の軍事力は
.        軽騎兵から鉄砲・大砲を備えた歩兵部隊へと移った
. ・遊牧民は、幼少から乗馬に親しみ、また巻き狩りなどで弓を使う
.  使う機会が多く、軽騎兵としての資質に優れた者が多かった


その軍事上の優位性にも関わらず、諸要因によって遊牧民の覇権は草原内にとどまっていたが、チンギス・ハーンはそれら阻害要因を取り除くことに成功した
. ・遊牧民内での内部抗争に終止符を打った
.    ・遊牧民たちは、氏族に分かれ、内部で争い、略奪しあっていた。
.     中国などの外部の帝国はこの分裂を利用し干渉しており、
.     遊牧民は団結した軍事力を外部に向けることはできなかった
.    ・チンギス・ハーンは、氏族による統治を改め、ハーンの独裁と
.     千戸制を敷くことで、自らの組織の内部分裂を防いだ。同時に、
.     遊牧民内の他勢力の征服に人生の大半を費やした
. ・軽騎兵が威力を発揮しづらい分野(攻城戦や経済政策など)では、
.  遊牧民以外の人材を積極的に活用して克服した
.    ・ほとんど都市が存在しないため、攻城戦は得意とはしなかった
.    ・チンギス・ハーンは、外部の人材を積極的に活用して克服した
.       ・例: 中央アジア遠征では中国人を主体とする工兵部隊
.           を編成して水攻め、対塁建築といった攻城技術を
.           取り入れた。中央アジア遠征で最新鋭の城攻兵器
.           を入手すると、現在のイランにある諸都市に対する
.           攻撃で早くも使った


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言いたいのは、

チンギス・ハーンの時代(12世紀)には、
「世界征服」という黄金のチケットはモンゴルに落ちていたんだけれども、
現在とか18世紀とかには、そういうチケットはモンゴルに落ちていないのだろうと。

だから、チンギス・ハーンがもし18世紀にモンゴルに生まれていても、
世界は征服できなかっただろうなと、
チンギス・ハーンといえども、時代の流れには勝てないと、
そういうことです。


世界史に詳しいわけではないので、誤りなどありましたら教えて下さい

【資料】

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E5%B8%9D%E5%9B%BD#.E7.B7.A8.E6.88.90

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A9%E5%85%B5#.E5.8F.A4.E4.BB.A3

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E9%A8%8E%E5%85%B5

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E5%B8%9D%E5%9B%BD#.E8.BB.8D.E4.BA.8B.E5.88.B6.E5.BA.A6