時は遡り、高校2年の時

親父が仕事の都合で
また岐阜に転勤になるとの話を聞いた。

ガキだったので
細かい話までは聞かされなかったけど
本社が大阪の会社だったから
喜ばしい転勤では無かった。


岐阜の高校に編入転校する…


ガキの俺がとった行動は
「拒否」
だった。


夏休み期間の時に
向こうの高校と話をつけて
編入試験の場を設けてくれて
試験をする事になったのだけれども、


バカ息子は
白紙解答を貫き
ボイコットした



お袋が向こうの先生に
何度も頭を下げてるのを見た


親父は諦めて、

お袋とバカ息子は大阪に残る事になり
(家賃は自払いだったと推測)

親父は岐阜でアパート暮らし
(持ち家は会社で借り手を探してて、
 賃貸契約で人が住んでた)


なんとも歪な家庭環境が生まれた



岐阜が嫌いだった訳ではない

岐阜の高校に行きたく無かっただけ


その当時、彼女もいたし
3年も引退して
主将となっていた

それこそ引っ越してきた当初は
方便を馬鹿にされたり
田舎モノ扱いされたりもしたけど
大阪に馴染む様にやってきた😀


「勝手にコッチに連れてきて
 また勝手にアッチに帰る言うん❗」

学校なんて辞めて働いて
一人で大阪で生きていく💢

そんな姿勢だったバカ息子に折れて

親父は持ち家の近くの社宅に
単身赴任をすると言う
歪な生活環境が出来上がった。

金曜日の夜、帰ってきて
日曜日の夜、出掛けて行った




分別の分かる大人になって

あの時は本当に
申し訳無かったと思う。


後々聞いた話では
上司だった常務の失脚と連座して
出世ルートから外されたらしい

仕事でのモチベーションも
家庭での厄介者の問題も

どんな思いで過ごしていたのだろうか
……



親父は煙草を吸う人では無かったけど


大阪住み時代は


台所の勝手口から出た所に
灰皿が隠してあったのは
知っていた。










親父は純度100%の優等生だった😀

学歴は申し分無かったし
バドミントンやテニスもしてたし
海外赴任の為にとNHK教育の
英会話は休む事なく続けてた

言う事は全て正論で、

親父は絶対的な存在だった。



幼い頃に
上の兄貴達がビシバシ叩かれながら
運動や勉強をさせられてたのを見てた

自分は歳が離れてたのもあり
そう言う扱いは受けなかったから

クズになった






何の時だったかは覚えてないけど

親子三人で夕飯してる時に
親父と口論になった

何か小言を言われたんだろうけど
それに腹立って言い返して
ヒートアップしていき
お互い立ち上がり一触即発に


「親に向かって、なんだその目は!」

その時、もう親父の背は越えていた
頭悪いけど柔道してたんで
喧嘩しても怖くも何とも無い


『もう俺の事は放っといてくれや❗』

捨て台詞を吐いて
二階へ逃げた。


頭悪いんだけど

勝ってはいけないのは分かった。



自分が親父に対して勝っているのは
腕力・暴力だけで

それ以外全て
何一つ足元にも及ばない




未だに

アラフィフになっても

親父が怖い(笑)



それからは
親父と衝突する事は無かったんだけど、

極力、親父とは会わない様に
避けてた😁


親父が家に居る週末は
家に居ない様に用も無く出かけてた




年越しして、センター試験の頃

三人の食卓でテレビの
NHKのニュースで


「今年のセンター試験受験者は
 ○○人で、昨年に比べて……」
みたいなニュースを見て、

「この数の中に、
 お前は入ってないんだなぁ😀」

と、ボソっと






さーせんm(__)m


それしか言えねー

😁





国立大学だけが大学じゃ無いんよ😀
私立大学だって得られ事はあるし😀
高卒だって中卒だって
偉くなった人はいっぱいおんねん😀
勉強出来るだけが偉いワケちゃうし




【弱い犬ほどよく吠える】



僕は正にそれでしたかね( ´ー`)y-~~







長くなりましたm(__)m


😅