学生時代
誇れるモノ、打ち込んだモノ
と言えば

『大学祭実行委員』
と言うモノが自分にはあった。


一年の時、帰宅部で
つまらない大学生活を送ってましたが、
何かサークルに入ろうと夏休み前に決め
「部室が一番大きかった」
と言うのが、参加しだした理由(笑)

一、二年はステージ企画部を担当し
三年時は委員長として
三十名近いメンバーを統括した😃

企業への協賛金集めに始まり
企画の立案、パンフレットの作成
全サークルの取り纏め
ゲストの芸能人との交渉
他大学との連携 (彼女との絡みはココw)
地域や商工会との繋がり

ちょっとしたイベント会社的な事は
一通り体験してきた様なモノだった😃


その中で学長に目を掛けてもらう様になり
ゼミ長を任されたりする様にもなった。


『お前は勉強は出来んが、
 行動力はあるからな!』


「返す言葉も御座いません」m(__)m






気持ちの中で負い目もあった😅

学祭は自分一人でやってきたわけで無く、
仲間と協力して創り上げてきたもの。

自分はリーダーとして目立つ位置には居たが

自分だけが甘い汁吸うてて
良いのだろうか…


そんな想いを抱えながらも

事はドンドン進展していく。

書類選考を通過して
筆記試験も通過した。

何人居たのかは分からないけど、
明らかに自分は全然出来が悪かったのは
自分でもよく分かる😅


一緒に説明会に行ったツレは落ちた…


最終面接まで進む事になり

面接官は専務だったと思いますが、

『中川さんは、
 勉強は出来ないが行動力はあると
 聞いてますよ!』と


重ね重ね


「返す言葉も御座いません」m(__)mm(__)m



あれよあれよと事が進み

目出度く採用通知が家に届いた😅


時期は覚えていませんが
仲間内では真っ先に内定を手にした。




彼女も彼女の両親も喜んでくれた。

気持ちの中でわだかまりが残ってるのもあり
辞退する事も考えたりもしたけれど、
お義父さんに
『先生の顔を潰す様な事をしちゃいけんで!』
と言われ留まった。


兎にも角にも就職が決まり
ホッとしたのは事実😃


結局は遊び半分で始めた就活も
実質一ヶ月ぐらいしかして無い😅😅😅


自分は自分の実力以上の結果が怖かった😅


真面目に学校も行って無いのに単位も揃うし、

チームをまとめきれたわけでも無いのに
偉い偉いと持てはやされ、

自分よりも優秀な奴が多くいる中で
甘い汁吸うて労せず就職決めるし


『人のふんどしで相撲を取る』
とは
こういう事を言うんだろうな…


運も実力の内と

自分に言い聞かせるしか無かった😅





実家のお袋は
事のほか喜んだ😃

あの世代の人は生協信者が多い😁

実家に帰らない事は残念がったが
出来の悪い息子が生協に入った言うのは
嬉しかったのだと思う。


親父は大手の化学会社
長男は大手のゼネコン
次男は大手の製紙会社

どんな規模であれ
「生活協同組合」と言えば
そこそこネームは売れてるから
カッコもつく。


親父も笑いながら祝福の言葉をくれた😃


『大学出て、トラックの運転手か(笑)』




親父らしい

実に親父らしい言葉だった


(笑)