「あーあ、そっか。でも、綺麗だな」
って思った
みんなが綺麗だなって思った
あたしが見ているのはたったの一部で
それでも綺麗だなと思った
いつかあたしもこんなふうに飛べるのかな
こんなふうに飛ぶのは気持ちがいいのかな
誰にも愛されなかったのかな
誰もがスマホを持ちカメラを向けて構えていることが
寂しくて綺麗だと思った
あたしも同じようにするのかな
それをカメラに収めてどうするのかな
誰も何も知らなくて
それでもただ結果だけをみんなが知っている
そうして批判をしたり悲しんだりする
あたしたちは平凡の時間の中で少しでもそれが刺激になって嬉しかった?
その動画をSNSにあげるのは何の意味があるの?
少しでもその動画を見る人が愛されなくて死んでいく人の存在を認識できたのならそれでいい
今の世界の現実はあまりにも幸せであまりにも不幸で
こんな抽象的な文でどうにかなるとも思ってないけれど
あたしたちは逃げることができる
生きていれば逃げることができる
あたしはそれを時々思い出して安心する
辛いときいつでも逃げられる準備をする
簡単なリセットボタンにあたしたちは手を重ねる
そうやってそのボタンを自分から押したとしても
誰かに愛されていた事実があれば
彼らは少し嫌いなものを減らせると思う