『田中紙業印刷』でやり始め______________________________________________________________________________たころ、『健康食品など』を扱う事業所(業者)に「社長」が介入して、鍛冶町にあった「スナック粋族館?」の経営者をモデルにして、「レオタード姿」に「健康ベスト」と言う「イメージ撮影」があったが、『スタジオと言うのが無い』ため代官町みちのく銀行向いの「社長経営」のショップ内を使ったが、照明機材の乏しいので天井などにフラッドランプ(500w)?を付けられるだけ明るくした。
 
 なぜか?4色カラー印刷だったが、ポジ(リバーサル)フィルムでは無く、ブローニー判ネガフィルム撮りが「社長」からの注文(命令)だった。
 ←「ポジフィルム」からだと「カラープリント」を起こすのに「ダイレクトプリント」があったが、「インターネガ」を作る必要があったので、プリント代を少しでも安くするための「ネガフィルム」でカメラも三脚も自前を使用。
 ←印刷後、ネガフィルムから8 X 10(六つ切り)サイズ?のカラープリントが作られ『社長』からは、このことは『忘れるよう』にと言う指示(命令)があった。

◎デジタル時代なら撮影後すぐ『D T P』ができるが、アナログ時代ならではかな?

 ※会社に「ロール状グレーの背景紙」が一種類しかなく、背景紙を使うための「スタンド」と言う物は存在していない。
 ★何かと中途半端な機材だ!

 ★ネガフィルム撮りはその時だけで、その後はブローニー判ポジフィルム撮りが主体で4色カラー印刷は勿論、「製版会社の外注製版」