昨日
豆腐白玉を作りました。
豆腐と白玉粉を混ぜ
→ 一口大に分けて
→ 丸めて
→ 真ん中をへこませる
わりとよく作るから
その流れは
あまりにも自然だったけれど
ハタと気づき
そういえばこれまで
なんの疑いもなく丸めてへこませてきたなあ、と思う。
いつの間に
自分の当たり前になっていたのかしら。
いやいや
へこませなくてもいいやん?
と思い直し
丸めなおして茹でたら
串にも刺せるわーーと
串団子にしてみました。
きっと
火を通す加減が理由で
真ん中をへこませるというのを
若かりし頃の私がどこかで読んだのでしょう。
それを長年、疑うことなく何十年も守ってきた。
まんまるな形にしても
少し長めに茹でたら
まったく問題ありませんでした。
私の中に
白玉粉を使ったら
白玉なので
真ん中をへこませる
上新粉やだんご粉を使ったら
だんごなので
まるく丸める
という
いつできたのかわからない
思い込み=自分ルールがあった。
半分は冷蔵しておいて、今日はおしるこ
ラップに押されてちょっとつぶれてしまった
まじめな話に
無理矢理こじつけると
私たちは
家庭環境や過去の経験、その他
何らかの刷りこみによって作られた
「思い込み」によって
自分の人生を自分なりに生きている。
人それぞれで
同じこともあるだろうけれど
ほとんど違うことばかり
他の人が何を考えたり
何をしてるかなんてわからない
だんごを作る人もいれば
興味が無い人もいる
人は人
私は私
違って当たり前で
比べるものでもない。
比べてブツクサ言っていた
コンプレックスの塊だった
若かりし頃の私に教えてやりたい
思い込みも比較もとっぱらって
自分自身が自由になればいいのよ、と。



