夢には
深層心理が現れる
自分の記憶から作られる
脳が記憶を適当に見せているだけで意味がない、その他いろいろ
さまざまな解釈があるけれど
自分が見た夢には
自分が意味をつければいいと思う。
夢占いを否定するわけではなく。
良い夢だったと思えば
それを理由にきげんよくいればいいし
自分にとって不都合だとか
意味がわからない夢なのであれば
忘れていいし
こじつけてこれから頑張る原動力にする
そんなんでいいんじゃないかなと思うわけです。
今朝見た夢は
自分の家なのかどうか不明もの(私物)がたくさんある場所にいて引越しなのかわからないけれどもうここには戻ってこられないことは知っている。ホテルなどの送迎バスのような感じで外に車が待機していて私も急いで車に乗らなきゃ行けないのにもうここに戻ってこられないのなら、とあれもこれも持っていこうとして袋にざっざっと詰め込みながらもう入れるものはないかと未練がましく部屋を見回している。
目が覚めて
ぼんやり考えて
最近の私が考えている
「ものを持つ」ことについての表れなんだなと思いました。
好きな空間で暮らす喜びを感じ
ものをたくさん持つ(なくならない物欲)現実と
この世を旅立つ時に
ものは持っていけないけれど
経験とか思い出は持っていけるから
(そしてそれを糧に魂として成長するのだと思ってる)
「もの」じゃないんだよな、という気持ちが片隅にある、その表れ。
この家にあるほとんどが
私のこだわりであり執着だな、と思っていたところでした。
昨日書いた「余白」でみれば
じゅうぶん余白はある。
けれど
「余白」と「ものの持ち方」は違うから
もっと考えてみようということ、か?
とはいえ
「もっと」は私のストレングス*
「最上志向」の資質が持つ思考のなせる技。
「最上志向」は
いまに満足せず
「もっと、もっと、こうしたら良くなる」と考える資質なので
こういう場合は考えすぎと言うのかもしれん。
*クリフトン・ストレングス:旧ストレングス・ファインダー 34の資質
庭のスズラン、終わりかけのところをつんできた。