先日、京都で購入した
縁(リム)の広い器
この形の器はとにかく
何を盛ってもおいしそうに見えるので気に入っています。
縁の広さが余白になるから、と思ってる。
暮らしという
生きていく毎日のなかで
大事にしているのは、余白。
使う言葉は余裕でもいいんだけど余裕だとありあまる中にある空白余白だとあえて作り出した意味のある空白そんなイメージ。本来の意味は調べてないけれど。
忙しくするのが好きで
秒刻み、分刻みで動く人もいるし
宝箱のように
ものがぎゅーっと詰まっている場所が好きな人もいるし
余白の有無や
そこにどんな意味を持たせるか
好みは人それぞれだけれど
私には
インテリア含め空間
時間
行動
他者との関係
心
思考
などなど
余白がないと
息苦しく感じることが多く
みっちみちに詰まって身動きできないと
内側がざわついて感情が逆立つし
人に優しくできなくなるし
感謝することもおろそかになり
大事なことを忘れていきそうな気がする。
だから
ぎゅうぎゅうのぎっちぎちに詰め込まず
そこに「何も無い=余白」をつくるし
見るもの使うものも、余白があるものを好む。
宙に浮いてるみたいに撮れたわー。
左側を握って浮かせて撮ったから( ̄∀ ̄)アタリマエ
自分で意識しないとなかなか
「何も無い=余白」は手に入らない。
たまに
予定がぽっかり空いたとか
偶然の機会に恵まれることもあるけど
そんなに数多くあるものではない。
「何も無い=余白」を
誰かがプレゼントしてくれるわけでもない。
だから、自分の選択次第。
偶然を待つだけではなく
自分から意識的に作るほうが満足度が高いし
何度も繰り返していくうちに
余白づくりが上手になっていくだろうし
実際、そうなってきたと思う。
信楽の古谷浩一さんの器、京都御所近くのSecond Spiceさんで購入。
余白があれば
なにかいいことが入ってくると思ってる。
余白が無かったら
入ってくる術がないし
入れる場所を急いでつくるのも大変だ。