先日、父の部屋を片づけましたが
そのときに見つけた
父の工夫というのか、工作というのか
針金ハンガーに
ラップの芯をかぶせて
首と肩部分に厚みを出したもの。
このハンガー、結構たくさんあったんです。
いったい、何年分のラップなんだろう。
ラップを使い終わるたびに
「よし!!」って思ってたのかなあ。
父はこういう小さな工夫や
ちょっとした何かを作ることが好きだったので
「なにかに使えるかも」が高じて
箱、包装資材、小さな木の板、袋、その他
「資源」だらけの部屋になっていました。
一緒に住む家族にその資源を指摘されても
決して捨てなかったらしい。
私もその血をひいているようで
素材がしっかりしたものを見ると
つい「なにかに使えるかも」と思うけれど
その時やその後しばらく寝かせて
「なにか」が具体的に思いつかないものは
結局使わないことも多いです。
そもそも忘れてるし。
「なにかに使えるかも」という
再利用の気持ちを持つことは
ごみ減量など環境の面でも良いことだと思うし
無駄だからと即排除、廃棄するものでもない。
けれど、結局使わなれなかったものが
どんどん積み重なって
場合によっては収納から溢れて
いまの暮らしが圧迫されてしまうのでは本末転倒です。
大切なのは
「いつか」ではなく「いま」だから
「いま」の暮らしを優先して
自分の基準を定めて
適度に持つ。
ときどき見直しをする。





