今朝まで京都にいました。
ホテルから
徒歩で南禅寺
境内を散策中
回廊の先にあった茶室「不識庵」
中に入ることはできなかったけれど
案内板に書かれている文章が目に留まりました。
※写真がブレブレだったので抜粋
「不識」とは
昔、達磨大師が梁の武帝と対面したとき「私の前にいるのは誰か」と問われて「不識(識らず)」と答えた。自分を説明しようとしても言葉では真の自分を説明しつくすことはできず、自分から離れてしまう。本当の自分とは何なのかを知るためには、心を究めていかなければならない。
昨夜、メモとしてこの文章を
ブログに下書きしたつもりで
間違えて公開していました。
今朝ブログを開いて???だった方もいるかもー。
失礼しました。
そうか
「あなたは誰」と尋ねられたら
名前を言うものだと思っていたけれど
それは
個人を識別するためのものであって
「私は〜である」という本質を表現するものではない。
(もちろん名前にも意味があり、大切なことは当然)
名前が〜で
先年月日が〜で
どこで生まれて育って
仕事が、云々
自分にとっては大事な歴史でも
初対面の相手にとっては
外側の情報に過ぎないのかもしれないな。
名前や生年月日には意味があるし
それで判断する(される)ことも大いにあるけれど。
私は誰なのか
真の自分
本当の私
考えてみると確かに
言葉に尽くせない問いだけど
だからこそ
考え続けて
行動し続けて
只管に生きて行くんだわね。
ふむ。
南禅寺の境内には琵琶湖から京都市内に向けてひかれた水路、疏水の南禅寺水路閣がありました。





