前回の投稿は3月19日。
大変ご無沙汰しご心配をおかけしていました。
この間もブログに訪れてくださっていた皆様ありがとうございます。
どうやって書いたらいいのか。
どんなふうに書けば、心配してくださっていた皆様にこれ以上のご心配をかけないようにできるのか。
どれだけ考えても答えが見つかりませんので正直に書こうと思います。
私には高校生の娘がいます。
元気に生まれ、大きな病気をすることもなく、すくすくと育ちました。素直で、純粋で、まじめで、しっかりしていて、でもお茶目なところもたくさんあって、可愛くて。
我が子ながら本当にいい子だなあとつくづくしみじみ思っていたものです。
そんな彼女に昨冬突然、とても稀少な病気があることが発覚し、それから約半年後の7月4日に光の国へとかえっていきました。
驚かせてごめんなさい。
本人を含め家族三人で絶対治すことを願い努力しましたが叶わずに、娘は私たちの前からいなくなってしまいました。
直後は悔しくて悲しくて身の置きどころがなく、この気持ちはどうもっていればいいのか、呆然とすることもありました。
けれど2ヶ月が過ぎた今
元気にしています。
私も夫もよく眠っています。
何でもおいしく食べています。
いつものように喋り、時にげらげらと笑っています。
もちろん思い出して涙を流すこともあります。
どの感情も行動も抑え込まず、無理せず、自然に任せています。
娘が小さい頃
「ママのおなかのなかにいたときのこと覚えてる?」
と尋ねたことがあります。
彼女には胎内記憶だけでなく生まれる前の記憶がありました。
まぶしく光る存在がいる雲の上から、私たち両親を選んで生まれてきたそうです。
大きくなってからもそのときを夢に見ることがあるとも言っていました。
その記憶を元に彼女が書いた
「私は自ら望んで両親のもとに生まれ、両親からも望まれて生まれてきた。生まれてきてよかったと思っている。」
という言葉が、学校の授業であった「自分で望んで生まれてきた人はいない」という論旨のエッセイへの意見文としてノートに残っていました。
魂(意識)は永遠の命を持ち、自分を磨く学びのために精神世界から物質世界に肉体という生を受ける。
この世で経験することは自分が生まれる前に計画してきたことだといいます。
彼女は16年6ヶ月でその体が役目を終えること、私たち両親はこの年齢で娘との別れを経験することを各々計画して生まれてきたのでしょう。
それらを乗り越えられると信じたからこそ、互いに相手を選び、出会ったのだと思います。
肉体はなくなっても彼女の魂は生き続けている。
魂の住む光の国は私たちと同時に存在している。
その国は愛と喜びに満ち、彼女は心地よいあたたかさに包まれ、やりたかったことや好きなことをやっている。
そうしながらも、いつでも私たちのそばにいて見守ってくれている。
これまでよく知らなかった精神世界の本を読み、検索し、自分なりに解釈し、彼女が身近にいることを感じています。
この別れそのものは切なく寂しいけれど「不幸」や「かわいそう」という言葉で表現されるものではありません。
むしろ、彼女が私たちを親として選んで生まれてきてくれたことを幸運だと思っています。
娘がこの世を生きた16年6ヶ月、更に彼女を胎内に宿していた十月十日を加えた親としての年月、たっぷりと家族一緒に過ごし、彼女も私たちも間違いなく幸せで、愛情をお互いにたくさんたくさん分け合ったから。
人生の長さは関係なく、彼女は自分に与えられたこの世の時間を濃密に凝縮して最後まで勇敢に生ききりました。
どんなときでも自分の感情は選ぶことができます。
私はこれまで書いたように「彼女はいつも身近にいる」と感じることで心を穏やかにすることを選びます。
彼女ができなかったこと、私たちがしてあげたかったことは数限りなくあり
しなければよかった、やればよかったと思うことも山ほどあり
なぜ今ここにいないのか、寂しい、触れたい、会いたい、声を聞きたい、ぎゅーっとしたいと、気持ちが揺れることも日常のなかにあります。
けれど
そんな思いや過去の悲しみや後悔にとらわれて過ごすことよりも、彼女がくれた幸せな思い出と分け合った愛情を大切にしながら、前を向いて今をよりよく生きたい。
彼女の魂が使命としてこの世に持ってきたものは何か?私たち両親がそれぞれ果たすべき使命は何か?それを探し出し、自分のため人のために生きたい。
この経験が私の魂を磨く学びならばよく学び、遠い未来のいつか彼女に再会したときに恥ずかしくないように生きたい。
今自分がここにいること、娘が見守っていてくれることに幸せを感じながら生きたい。
笑って生きたい。
そう願い、これからも
よりよく暮らすこと(=生きること)を考えていこうと思います。
心配して連絡をくれたり
連絡を控えてそっとしておいてくれたり
会いにきてくれたり
声をかけてくれたり
娘に花を贈ってくれたり
もちろん
ブログを通じて見守ってくださったりと
自分がいろんな形で周囲の方々に支えてもらっていることを感じています。
何も知らなくてごめんねと謝ってくださる方もいらっしゃいますが、知らせず失礼していたのは私なんです。どうかそんなふうに思わないでください。
皆様、ありがとうございます。
直接でも間接でも
娘と出会ってくださり
私たちと出会ってくださり
ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。