※画像は、

生まれて初めて、母の付き添いなしで、

友達だけでよみうりランドに行った愚息でしたラブラブ

友達と生きる、

ようやくそんな夢が叶い初めて嬉しいです。



さて!

今回かなり乱文で長文失礼します。。



特別支援学校に進学し、しばらくたちます。


途中、「下に合わせる」学校長の教育方針の下、

半ば虐待に近い扱いを教員らから受け、

教科書なし、授業はなし、

ケアを見るだけ、待つだけ、という、

異様に長い「待機時間」と、叫び声うめき声の中、

我が子は心閉ざして不登校になりました。



「学校に行きたくない」

というのは初めてのこと。



これまでの日常生活では聞いたことのない、

大声で叫びまくる生徒多数、

それを静止しないでずっと廊下でわめかせており、

なだめることも、名前を呼ぶこともせず

怖い顔で腕を引っ張る教師たち。



それに対して違和感を伝え、

「クールダウンの部屋を作って落ち着かせる必要性」

を伝えましたが、

「部屋に入れるのは虐待」と学校長の返答。

いえいえ、廊下で永遠に叫ばせていると、

みんなに伝播して、いいことはゼロ。

決して対応しているとは言えない、

隣か後ろで教師が見てるだけ、という「対応」に、

それは違う、教育ではない、と訴え続けた数ヶ月。



子供の力を信じてほしい。

発語がないからわからない、ではなくて、

心でわかっていても、言葉にできないだけ。



それは、私がかつて思ってきたことで、

我が子に対して医師や療育センターが

「脳のダメージがひどく、発語できない」

と言って、我が子に絵本を読む私に対して、

嘲笑していた姿を思い出します。

なんなら「オムツもはずすな」と。えーん



あの子は重症児。

どうせわからないのに、この教育ママが。

障害を理解しない親


保育園で大きな事故にあった際、

開示したカルテには、私の悪口が書かれていました。


心痛かったですが、アホな大人につける薬はないです。

(失言失礼)


子育てや療育は、

子育て成功した人に任せた方が良い。


療育や専門職、特別支援教育の教師たちは間違えている

偏見に満ちた目で子供を見ている。


とても素晴らしいかたも稀にいます!



子育ての結果が出た今、胸を張って言えます。

彼らは間違えていた、と。


だから、ガリガリ、間違えている対応については

言っています。



個別級であれば、専門職ではないのも知っていますし、

一般級の先生が個別級を持っていることが多く、

障害についてわからないことは理解しまして、

先生をサポートしてきました。


逆に障害がわからないから、私の話を聞いてくださり、

または目の前で私の対応を見て学び、

この子達はできない、という目でなく、

わかりやすく伝えればわかる、と信じて教えてくれて

(これも伝えました)

教えた通りに対応してくれると、クラス全体がよくなりました。



やる気のない先生からは反発がありましたが、

やる気ある先生や学校長からお力添え頂き、

数多くを変えてきたと思います。



先生も人ですので、

「先生のおかげで成長している」ことを伝え、

感謝申し上げると、先生も励みになり、

より一層頑張ってくれたものでした。


「保護者が評価してくれて嬉しい」と。



特別支援学校では、やる気ない先生が大多数。

確かに時短働けて、いつでも休めます。

(これまでの学校に比較して)


反吐が出そうなほど、あなたは嫌い!という態度で示す教師も。

わかりやすくて笑いますが。


嫌いでも挨拶する、が社会人としてありますよね。

特別支援学校では、それができない率が高いのです。

驚きですが。



授業の区切りがなく、廊下も賑やか。

保護者も賑やか。。。

絶望的です、いうことが多すぎて疲れました。


異空間です。



前置きが長くなりましたが、

個別級と特別支援学校の違いは、


普通の学校は朝8時開門、以降5、6時間。

多くの先生は7時台にはいます。


特別支援学校は、朝9時開門(8時半から職員出勤)

水曜日は13時半下校(教室迎えは13時〜)

その他は15時下校、

と大変短く、授業コマ数は午前と午後各2コマ、

それは、必要とする単位数が違うから、とのことです。


一類は大学受験を目指す、「学習」に遅れがない子限定

二類以下は少しでも学習に遅れがある子以下、

と、学習に遅れがある歩行可能な子と大きく差が出ます



一方、地域の小学校では

一年生から社会のルールをガッツリ学びます。


個別級でも各学年で必ず交流授業、学年行事には行けます。

(希望は必要)


例えば、

右側通行、

廊下は静かに、

集団授業、給食、掃除のルール、

生活に必要な一般常識、

なぜ洪水になるか、砂場で見たり、

焼却炉に見学に行ったりする社会見学、

史跡を巡る遠足、

地元企業(日産自動車など)を工場見学、

地元アスレチック、こどもの国、

江ノ島水族館、愛川キャンプ、山梨キャンプ、

劇団四季の出前授業、

横浜市について学ぶ遠足、

毎週に近い(それ以上)、外国人講師による英会話など、

家庭では得られない、多くの学習の機会。



疲れた頭に浮かぶのは取り急ぎこれくらいですが。



私の経験上、

少し会話できる肢体不自由の子や、

幼稚園や保育園で集団がさほど苦痛ではなく泣き叫ばない知的障害の子が

仮に進路に迷うのなら、

間違いなく個別級をお勧めします。



特別支援学校では、

廊下は静かに、授業中は静かに、

などというルールは存在しません。


子どもたちだけでなく、保護者も教師も賑やかなので、

「高等部授業中です、お静かに」と張り紙をしたいと、

家庭でさっと作って持参しましたら、

いいですね、という先生もいましたが、

「廊下で喋ってはいけないと大人も誤認するから不可」

との管理職の回答でした。

いや、大人も少しは声量を下げ静かにしてほしいのですが。



エリアを区切り、なるべく静かにしていただくゾーン、

そして、大声や大きな物音で緊張する肢体不自由さんが

無駄な過緊張することないよう配慮が必要、

それを伝えているだけなのに、

管理職から却下されました。


毎度、管理職とはこんな調子です。

静かにする場所では静かにする、

いや、それは必要ない、と。

この議論に50分。



肢体不自由の子供まで、多くの学習の機会が奪われ、

授業を妨害されている日々。


特別支援教育をやってきたとは全く思えません。


また、療育センターの専門職の方々が来られた際には、

授業中なのに、スリッパ音がパタパタと甲高く響き、

何度も何度も繰り返し、行ったり来たりする始末。。



そして、

周りを憚ることなく話し続ける「専門職」たち。



見るに見かねて、

「障害ある子どもがいますので、物音はお静かに願えませんか」と私からお願いしました。


※当たり前ですよねえーん


「聴覚過敏」ということばを教科書で見たはずでしょう



結局、障害ある子の親、専門職、教師、

どれくらいの人が、この障害について理解し、

学びやすい、集中しやすい環境作りをしたり

工夫できていますでしょうか。



本当に子供の実生活に活かしていますか?

子供に向き合っていますか?

どの程度、子供に向き合う時間を費やしていますか?

どこを目指していますか?

と。



特別支援学校では、下校時に泣き叫ぶ子が大多数。


帰りたくない。


なぜなら、

放課後デイサービスに連れて行かれるから。


朝、登校したら、夕方遅くまで帰宅できない。


それが毎日、土日もそうだとしたら…。


「いやだーー!」

「いやだーーー!」

泣いて逃げる子に、手を焼き、無言で後を追う先生。



私はある日、泣いてわめくその子に近づいて、しゃがみ、目線を合わせて、「こんにちは」と。

まずお名前を聞きました。


お名前も言えない様子の、その子。

可愛くてまだ幼い小学生。


上履きにお名前があると先生が教えてくれたので、

「○くんは、何が嫌なのかな?」


答えないけれど、じっくり話を聞こうとする私に、

少し泣き止むその子さん。


「いやだー」


そっかそっか、○ちゃんは辛いのに頑張ってるんだね


「デイがやだ??」

その子は黙っています。



おててを貸してごらん

と、その子の体温を確認すると、

やはり暑くて不快な感じです。


「○ちゃんは暑いんだよね」

「○ちゃん、暑くてつらいよね〜。わかるよ」

背中をさすりました。

まだ幼いので、お母さんへの甘えやケアが必要な時期。

ですが、療育センターでは、「過干渉がダメ」と、

それを誤認して、本来すべき母としての対応を放棄して

放置しているお母様方もみてきました。


大人に気にしてほしいんですよ、子どもなので。


「お茶飲んだ方がいいよ、○ちゃんの水筒はどこかな?」

「水筒は○ちゃんの教室かな?」

「○ちゃん、一緒に教室に行こうね」


かわいいおててを繋いで、教室まで別な先生と向かいました。


途中、我が子の教室近くで座り込み、

また「嫌だー!」と叫ぶので、

作っていた絵カードを示し、

「ここはお勉強してるから、○ちゃん、お口を閉じて静かにしようね〜」

と話しながら見せると、ちゃんと静かにして、歩きだするです。


その後、初対面の私に、ニコニコと笑顔を見せ始めたかわいいおこさん。



障害があっても、心で伝わるもの。


どんな子だって、そう生まれたかったわけじゃない。


障害があるから社会適応できない、のではなく、

そう決めつけて教えもしないから、

大人が社会適応させていないだけ。



静かに、がわからないならば、「口を閉じる」

座る、がわからないならば、「お尻を椅子につける」

これらは私がこれまでしてきまして、

必ず効果のある言葉なんです。


わからない、知的障害だから無理。

そうではなくて、

言い方を変えて、わかる言葉で理解させる。


無言で絵カードだけ見せて、

お名前も言わずに無言でたつ教師たち。

わかるように教える、

繰り返し同じ言葉で伝える、

社会適応するルールを教えようとしない、

そんな特別支援学校さんが残念です。


個別に向き合う時間はあるのが特別支援学校の強みで、

最高なはずなのに。


なかには志高い先生もいますが、

1人で疲弊しています。


管理職が同じ思いだといいのですが、

多くはそうではありません。


学ぶ機会もないのに、知るわけがない。

障害だからではない。


これは私がずーっと教育委員会に言っていること。


社会適応できれば、進路につながる。

先生も指導しやすくなる。


特別支援教育を知らない、特別支援学校に、

絶望感と、変化をもたらしながら、

我が子がここしかなかった学び場を変えて行きます。


体が壊れてしまうかもしれませんが。


長いですので、次回は横浜市立の特別支援学校と、

神奈川県立の特別支援学校の大きな違いを書きたいと思います。


変化のために、あまりに多数の方々に働きかけており、

時間がない中の乱文で失礼いたしました。



障害があっても、それを個性にする努力。

確かな療育と特別支援教育。

私はこれらは必要だと思います。