大変ご無沙汰しております。


しばらく息子が不登校になりまして、壮絶な日々でした



特別支援学校で心を痛めすぎ、

息子は長く体調不良となっていました。えーん



「学校に行きたくない」


朝起きると、

「熱がある」



こんなことは初めてでして、

息子にとって、学校は

元気をもらう場所

友達と会える場所

パワーの源

そんな居場所でした。



これまで小、中学校と先生方にもお伝えしてきたこと

「親以外の大人から学ぶ機会が欲しい」

「親への不満や悩みなど話せる場であって欲しい」

「親が教えられないことを学べる場であって欲しい」

「小さな社会で集団教育が受けられる場所」



息子にとっての、社会とつながる場所が学校、

なのに、その行き場がなくなり、

家庭しかなくなってしまう、不登校…。



行き場がない、

居場所がない、、、

つらいものですよね、親も子も。


親子の散歩だけでは…。

(実は最近素敵な出会いがありましたがラブ

※次回以降、後述します



子供と向き合いながら、

学校や教育委員会へ改善に向けて会話し続けました。



不登校の子供と向き合うということは、

子供のペースにさせない、ということ。



あくまで学校生活への復帰が必要なので、

学校に行っているのと同じ生活を再現していました。



何時間目の授業、といつも意識させて、

休憩10分、と、区切りました。



もちろん、私がずっと構えないので、

私がべったり授業するのは午前中2コマ、

他の時間は主に与えたプリント、またはアプリ、

教科書を読んでもらうなど、

私の目がある時間ではなく、

私も大変でした…。


合間には方々へかなり話し合い、

教育委員に相談したいと申し出、

(まだこれは継続して検討中ですが)


学校長の一方的な偏見により、

「特別支援学校は下に合わせる学校です」

「介護する時間も授業」

などと言われ、

授業が必要な、地域から入学してきた生徒に対して、

全く教科の授業など行わず、授業の区切りもなく、

学校として機能していない状態を続け、

「療養の場」と化した場所へいさせることは、

学校長の障害児への偏見による、

肢体不自由生徒への虐待だと思いました。



発言について文科省や、教育委員会の各課に相談し、

学校長から「そういうふうにうけとめることも可能である発言をしたかもしれないことには謝罪する」

などと、なんとも遠回しでパッとしないお詫びを受けた際には、キレそうになりました。


(キレそう、なんて、失礼しました)


それまで椅子にのけぞって傲慢な態度を示してきたのに

その会の面談では、その様子はとりあえずなく、

夫もこんな主要な話し合いには何度か加わり、

(私はその倍以上)

夫の時給は(時給換算しますと)結構高価ですが、

夫の時給は払ってくれるのか?と思いましたよ。


息子の給食費は全て捨てましたが。

一食400円で3週間、でしょうか。

(そこそこの所得のある第三区分世帯は給食費を払います)

その他の世帯は無料だそうです


多忙な夫の時間まで、

のんびりした教員らに指導するために割くことになり、

私も心身へとへとです。


彼らが最初からできたなら、

こんな時間も説得も不要だったのですが…。



息子を体調不良にまでさせた教師や管理職らには

憤りしかありませんが、

どんな人も良いところはありますので、

とにかく良いところを見て、伸ばすしかありません。

(先生を)


なかには、

本当に素晴らしい先生もいらっしゃいますので、

その方々がそこをおやめにならないように、

(モチベーション高い人ほど続かない)

先生方の負担を減らす提案をし続けております。



横浜市と県立の特別支援学校の違い、

9年間毎日教室を見てきた私にわかることですが、

そこを説明しまして、

なんとか人員確保に向けて、説得中です。



入学時

教科学習が週一のみ、

個別(歩行)訓練ゼロ、

授業の区切りなし、

明確な目標を持った指導、なし、

時間を意識した授業展開、なし


何度か改革を経た現在、

教科学習、毎日、

個別歩行訓練、毎日、(立位時間1時間程度)

授業の区切り、あり、

明確な目標を持った指導、あり、

(母設定)

時間を意識した授業展開、あり

(何分間でどこまでやる)



教科書はようやく選定、これから導入、

目標にしている資格、現在二つ、


まだまだ改善はありますが、

最低限必要とするところについては改善でき、

毎日歩く、毎日立つ、

立ったまま授業を受けることも可能ですので、

これこそ特別支援学校でよかった、というところです。



なぜ特別支援学校なのか。

特別支援学校でしかできないことをやる、

それが明確でない限り、ダラダラ過ごすだけになります


リハビリも勉強も、全て

目標を決めること。


子育てにおいてはとても大事なこと。


不登校期間は大変でしたし、

まだ復帰して数日、

当然登校から下校まで付き添っておりまして、

私が歩行させて示しておりますし、他においても先生は私から学んでくれております。



なんだコイツ、

の反発から、

コイツはヤバい、学ばなきゃ、

と思ってくれたらスタートです。ウインク


わからない人はお尻を叩くしかありません。

特別支援教育をできる人がいないので、

私が教えて差し上げるだけです。


障害児を障害児として軽蔑して見ないで欲しい。

話せなくてもわかってる、

できることは必ずある、

手伝うこと、できないと決めつけることは2次障害。

私はその思いだけ。



これまでも、良い先生方は、

「ママがそこまで頑張るならば、ぜひ協力したい」

と思ってくださり、味方になってくださるので、

一生の出会いも探していきたいです。



障害福祉の世界では、

志高い人と、ラクだからここにいる人、と

二分化しております。



8割は「ラクだからここにいる人」で、

「志高い人」は精神的に疲弊している方も多いです。



双方は全く合わないのですよ、話が。

だから数年でやめてしまうのですよね。


私と話が合う方が後者です。


志高い人と作る学舎も作ってみたいですし、

もう一つ、

善悪わかるレベルの知的に軽い子たちの

「もう一つの家」ショートステイも作れないかなと

考えております。


毎日修学旅行のような、ショートステイ、

そんなところを私の信用する専門職の方々と作れたら、

最高の居場所だな、と。


知的障害が重い子達が利用する日は、

我が子のような知的に重くない人は使えない、とか。

(ショートステイはそもそも重い子優先で空いてないですが、我が子はこの理由で全く使えないとか)


だったら、真逆で、

障害の軽い子しか使えない施設があってもいいのでは、

そんな話を、Nestのお母様と話していましたが、

専門職のかたも、

「それ楽しそう!」と。


毎日似た世代でわいわいすごせる場所。

親がいなくて、友達と宿泊学習のような環境の場所。


そんな場所、可能なのかしら?爆笑


いろんなことを変えたり、考えたこの数週間でした。


再登校ははじめましたが、まだ付き添いや観察は必要。

昨夜は首周りに蕁麻疹も…。

頑張っていますよね…。


頑張っているご褒美に、

今日のおやつはマシュマロ焼きチューもしました






毎日我が子に付き添い、

お昼ご飯も帰宅後の3時など…

へとへとですが、合間に調べたりし、

我が子やNestのみんなの将来に向かってがんばりますウインク