共依存は考えたり、

選んだりすることに、

過剰な不安を覚えます。



私の伯父と伯母は

あまり外食などをしてきてません。


伯母の職場に伯父が車でひろって、

自宅まで帰るというのが常でした。

朝も同じパターン。


帰りにもう作りたくないから、

食べて帰ろうか?と伯母がいっても、

家でお茶漬けでもいいから、

帰ってから食べたがるのが伯父でした。


共働きですが、

犬を飼ったりしてたのもあってか、

家のことは伯母が全部やってたそうです。

朝からおかずを作っておき、 

帰ってからも作って、

洗濯して干して寝る。



2人の休日も一緒のことはないだろうし、

子どもがいなかったのもあって、

休日に出かける習慣もなかったからか

「何か外で美味しいものを食べたい」 

そういった願望があっても、 

お店を考えキレないのです。


経験がないし、

ツールもないし、

人がらの口コミもないし。


仕方がないからこっちで選んだとしても、

伯父が認知症なうえに、

元来のせっかちさで

「待てない」のです。


でも伯母はたぶん

「上げ膳据え膳でそれなりのものを食べたい」


待たずに上げ膳据え膳で

それなりのものを出してくれるところなんて、

そんなのは私も情報として厳しく。



そうなってくると、

大衆的なお店であっても、

メニューを選ばないといけない。


伯母が「おじちゃん何にする?」

そう問うたところで本人は選べない。

元々考えられないのは、

考える前から「これにしたらどう?」など

伯母の声かけが始まり、

実際に選んだとしても

「ほんとにこれでいいの?」

そう、何にする?と言いながら、

完全にコントロールしてるに過ぎないのだ。


そして人のことに一生懸命で

自分のことは考えられなかったりする。

バイキングに出かけたら、

解らないから選べないし、

非常に苦労すると。


こちらとしては不満にならないよう、

自分で選べるお店にしてしまうのだけど、

作って置いてある食べ物を選ぶのではなく、

考えたくないというのは解った。



そしてそれは伯父なんて、

いつも与えられるものを食べてる人間なんで、

より一層、そんな感じは強い。


そんな二人をお盆休暇に

食事に連れ出さなくてはいけないという、

非常にプレッシャーなイベント仮予定がある。


それも実母に見られてはならないという

過度なプレッシャーもある。


そこまでして付き合う必要もない、

でも伯母としても、

私に何かしてあげないと、そう思ってるのかな。


なんかもう、どうでもいいな、

人どの関係性が煩わしい。