もともとお薬を拒否して
精神科通院してることが
稀有なのかもしれないですが、
今回二度目になるお薬の利用を
すすめられました。
前回はかなり状態が悪く、
サジを投げたような形であっさりと
処方までしてもらったけど、
結局は利用しなかった経緯がありました。
今回も改めて言い渡されたことは、
悪化のサインだとは伝わりました。
ただ前回のことを踏まえてか、
自分でも使ったがいいのかな?と揺れてる状態で
話を切ったような言われ方をしました。
私は裏を読むと言われているのですが、
まさにそれで、
いま自分と向き合うために
お薬のことで私の思考を
別な視点へそらしてるんじゃないか?
みたいな穿った見方もしているのです。
お薬のことを言い渡されたあとに、
風邪症状で一気に寝込んでしまいました。
病状がしんどいぐらいで、
あんまり余計なことは考えずに済む中、
お薬のことはどこかで頭の片隅にあり、
仕事もこの流れで休みをとろうかなど、
だいたいその2本立てで悩んでいました。
欠勤2日目に職場への連絡で、
昨日、そしてその前の夜から、
何も食べれていないと発したことから、
2時間もしないうちに差し入れが届いたことで、
まだ異動して間もない自分に
ここまでしてもらって申し訳なさと同時に、
この病みは前年度末の疲れが一気に出て
強制的なロックダウン症状だったと思うと、
仕方なかったのかなって許せる気持ちにも
なりました。
3日目の今日は金曜なので、
今日まで休んで来週から出勤することに。
当初は精神科への予約が入れられたら、
そう思ってました。
入れられたら?どうするの?
風邪薬は違うよね、
じゃいよいよ抗うつ剤だしてください?
いや休職したいから診断書?
いずれもすっきりとした答えではなく、
それなら咳き込む症状が
職場には迷惑だから耳鼻咽喉科にでも
かかろうか?
ダブル受診も視野に入れ始めました。
どっちにしても、
一気にお薬を盛られる感覚がありました。
私はお薬に頼るのか?
委ねるのか?
自分ではコントロールできない部分を
お任せするのはありだと思ってる。
しかしながら、
あらがうやり方で私は生き延びてきたという
自負もしている。
抗うつ剤は効果が出ても、
半年ほどは飲み続ける必要があるとか、
離脱症状が強いなどの要素をみると、
そんな薬に手をつけたら、
もう離れられないではないのか?
あと過敏さを鈍麻にもっていくという
そういった効果も解るけど、
それって本来自分が良しとしてる部分が
むしろお薬で殺されるのではなかろうか?
そんな不安感もある。
今回はひとまず
鍼灸院を予約してみた。
疲れと痛みを抜くのが目的です。
一旦はお薬のお世話になろうかと
そう思ったりもしたけど、
お薬を出されそうになると、
奮い立たせてなんとかやろうとする
そんな自分を試されてるという
使命感みたいな方に火がついたと思う。
コントロールできないことに無力を
入れるべき時なのに、
コントロールしようとしてしまうことの
浅はかさなのかもしれないが、
でも言われるがまま、
頼れる人であることも大事だけど、
やはりASDの天の邪鬼さや、
自分が決めたこだわりを貫き通すことを
優先させるのだろうなって思った。
ここが可愛げのなさだろうな。
じっくり話したい姿勢をみせたのに、
それをあっさりと持ち帰らせた意味が
何となく解った気もして。
そのまま説得されたら、
きっと私は飲みますって流されてたと思う。
なのにその手段を使わなかったというのは、
説得によってコントロールしたい訳ではなかったんだろうなってことはよくわかった。
あくまで一つの手段として提示してくれた。
使うも使わないも、
私の選択なのだと。
でも解ってるのです。
お薬で一時的に補助しても、
それに慣れるとまたその効果に期待して
薬の力に頼ろうとしてしまうことを。
ドパミンを増やしてくれることは、
それは確かに楽になるだろう。
しかし人は楽に慣れるのは簡単だ。
もっと楽になりたがる。
お薬の怖さはそこにある。
私の場合は抗うつ剤ということで、
怒りの内在化に対する問題について、
もう少しセルフケアが必要だってことだ。
なかなかスイッチが入らない。
下手したら余暇の時間でも
常に自分を罰してるようなことを
やってしまってることには気づいている。
スマホ依存を少しどうにかしていこう
そう思ってます。