診断はもらってないですが、

複雑性PTSDとか

発達性トラウマ障害あたりで

生きづらいです。


ドラマをみていて、

PTSDという単語がサラッと出てきて、

この世もとうとうここまで来たのか、と。


ただこの単語が一般的になると、

過剰な被害者意識になることが

怖いなって思います。

だから私も診断はくれなかったのだろうと、

自分で勝手に自分に診断してるところです。



私には拒絶反応の傷というのがあります。


同性の親(私にとっては母親)の

承認がまったくなかった幼少期や小児期を過ごし、

そうやって大人になってしまいました。

ASDなので愛着形成に失敗してるともいえます。


そうなると親がただそばにいて、

そこに居てくれるだけでも

「拒絶されてる」と思って

生きてきてるのだそう。



大人になっても、何歳になっても、

人とつながれてないとか、

否定されてる、

自分はダメだ、

必要とされるためにはもっとちゃんとしないと、

頑張らないと…


延々と完璧主義を繰り返しても

承認や大事にされるどころか、

利用されるとか、

自己犠牲的になっていって、

燃え尽きてしまったのだと思います。


今はまだ自分を自分で必要だと

そう思えませんし、

大事な人間でもなく、

愛される価値はないと思い込んでいます。


生きてることが迷惑とさえ、

無意識下で思ってるんだと思います。



ずっとミーティング活動は続けてます。

行く場所がそんなにないので、

同じ場所にしがみついていると、

久しぶりな人がやってきます。


だいたいのオールドタイマーは

関係性が切れています。


今回もそういった対象がやってきました。

その相手はこちらとしては、

何かしたつもりはなく、

距離を詰めてきたり、

離すぶんには構わないけど、

どこか敵対視してくるとか、

いわゆる悪者のように言われた気がして、

どう反応してよいのか。


特に何も言わず、

相手の望むようにそっとしておいて、

離れていったような関係でした。


その離れていく時に

バカにしたような目とか。

そういうのは傷みなので、

あまり関わらくなってたのが、

自分が寂しい時はひょこっと声をかけてきて、

距離を縮めてくる。


自分が調子が悪い時に

それをやられたことがあって、

「なんか様子が変ですよね」

そんな言われたので、

夏場でお風呂入ってご飯食べたばかりで

ボーっとしてるから、と。


たしかにその通りだったし、

その時に一人でいるところにやってきて、

意外な人があらわれたから、

驚いていたのもあるし、

そもそも距離を離された人に対して、

どう反応してよいのかも解らずで、

いろいろ混乱していたと思う。


そのあとは逆に見かけた時に、

大鬱状態で声をかけられるものではなく、

放っておいたくらいだし、

そのたまに見かけるのも半年毎か1年とか、

そんな状態の相手。


その相手が常に通ってる場所にあらわれたら。

ま、フリーズします(笑)

こちらからは絶対に境界線こえない。


あちらももうさすがに

声はかけられない。


相手の状態なんてこっちは知らない。



特に何もなかったのですが、

トラウマ対象になってくると、

傷が痛むなぁというのはありました。



これがずっと繰り返してる感覚があります。

職場でもそういったことになっています。


どうしても孤立するしかないのは、

私が依存するからではなく、

相手から依存されるパターンもあります。