今日は面談でした。



前回の面談まで自分の状態が悪く、

悪いながらも一生懸命に自己分析して話す。


別の言い方にはなるけど、

要約すると「考えすぎてる」といった

そのようなことを言われて落ち込む、

その繰り返しだったように思います。



そのあとの診察室で、

その部分もほんのエッセンスとして

絡めながらも、

自分の感情を分かち合って、

主治医からの考察の内容に、

とても頭のよい先生で

全くその部分を触らないながらも

間接的なメッセージが

「気づきとして悪くない」と言われたような

そんな感覚がありました。


具体的なことが書けないのは、

私の思い込みもあるかもしれないし、

どちらが勝ち負けというジャッジをしたくなくて、

それでかなりボヤかして書いてます。


それらから10日ほど経過した本日の面談で、

ストレスフルな部分も若干分かち合って、

いつもはそこにフォーカスして終わりなのが、

個人的な失敗やそこから派生した

関わりの中でエラーを起こしたのだけど、

いろいろストレスがたまっていたうえで

そのようなことが起こったのもあって

爆発させてしまった!という失態を

笑いながら分かち合ってました。


その爆発部分に関しては、

面談相手にも経験があるので

共感性が少しだけあり、

おそらくそうやって私がケガしないで済む

そのような話題提供をしてるような

そんな部分はありました。


ただ本当に伝えたかったことを

最後の最後に持ってきて、

あまり過剰に期待をしてない自分もいて、

それでやんわりと解っているのだけど、

あくまで要望として伝えることが出来て

その最後の部分のやりとりが成功体験で

ホッと胸をなでおろしてます。


感情の世話焼きというのは、

自分に矛先を向けないためのものであるので、

それを利用している感覚もありながら、

自分の伝えたいことは伝えた、

それ以降の取り扱いまでは期待していない、

こういったところは、

回復過程で培ったものだと思うと、

「出来なかったことが出来るようになった」

それがホッと胸を撫でおろす場面でした。



組織に属していると、

火のないところに煙を立てたがる人間と、

厄介な問題を起こさずに事なかれで保身したい、

その2パターンにわかれると思います。


前者は問題ではないことを問題視して、

自分が何かを常に操作したがっているだけの

コントロール欲だから、

周りの人間も面倒だなと思っているし、

後者は問題視していかないと結局は火事になるようなことをこの場の火事がないならば、

自分には無縁のものとしてやり過ごしたいだけ、

たしかに炎上するかしないかは、

解らないことを問題にする必要はないけど、

でも「初期消火」や「予防対策」によって

救われる人もいるので、

前者と後者のグレーな立ち位置で

進言していくのは悪くないのかなというのが

今の自分です。


ただし、感受性が強すぎるあまり、

気がつきやすいところで面倒な人になりやすく、

投影同一視もほどほどですよね。


気をつけていこうと思います💦