久しぶりにブログを書きます。

 

まず最初に。

私のことを気にかけて心配してくれた方々。

 

音信不通で、ほんとうにごめんなさい。

 

 

 

 

私の人生に起こった大きな出来事を体験して、この5ヶ月近くの間

ダメダメな自分を嫌というほど見せつけられました。

 

 

私は、ほんとうに、ろくでもない人なんだなって。

どれほどダメダメな人間なのかを知れました。

 

何もわかっていないのに

わかっていると思っていました。

 

私の本質を知っているからこそ

みんなが私に合わせてくれていただけなのに

わかっていると思っていました。

 

 

 

私は、人との関わりを何も知らない。

 

人を本当に想うということを体験できていると思っていました。

 

自分の見ている世界を、相手が観ている世界だと思っていました。

 

そのことを出来事に突きつけられて

自分の人生を生きることを諦めていました。

 

考えることに疲れはてて

何も起きていなかったかのように

考えること自体を諦めてしまっていました。

 

 

とにかく。とにかく。

私に何が起きたのか。

考えることが恐ろしかった。

自分の状態を認識することが怖かった。

 

考えなくていいように、起きている事実を何も見なくていいように

現実から逃避する毎日を送っていました。

 

 

 

私も含んだ多くの人は

人に関わることを諦めていて

誰かに向ける自分の想いも

相手を感じようとすることもなく

 

自分の見ている世界が相手の見ている世界だと

自分中心に置き換えて

何も深く考えず

現実を見ないでもいいように

息をするように簡単に

息を潜めるように人生を諦めていきます。

 

 

好きなことや楽しいこと。

家庭での役割の中で忙しく過ごすこと。

好きな人や家族の為だけに生きること。

毎日を忙しくすること

 

 

どの選択も選べるように、人生は無数に選択肢を並べてくれます。

 

その置かれた選択肢の中で

 

どの選択肢を取るのかも、その人自身が選ぶもの。

 

「その選ぶもので人生が変わるよ」と、人生は無数に選択肢を並べてくれているのです。

 

 


自分の人生をどう生きていきたいのかと言う

生き方を決めるのも自分です。

 

答えは誰も教えてはくれません。

 

過去には私と言う人も、そう言った事に、たくさんの価値を見つけられる人でした。

 


 

アーティスト活動も

 

ずっと学んできたヨガの学びも

 

バックパッカー時代にやってきた海外へ出かけて旅をすることも

 

好きなことや、夢中になれるような趣味を見つけて没頭することも

 

楽しみを見つけることも

 

仕事にやりがいを見つけることも

 

 

偽物の私をずっと生きていたから

そこに価値を見出せた人でした。

 

 

 

そう言った何かの価値を見つけられて

生きられる人は、人生でその選択を選んで生きられる人です。

 

 

本質的な私。ほんとうの私と言う人は、私を取り巻くすべてにおいて

何も価値を見いだせない人。

 

 

シンプルすぎて、何も本質的に興味が持てない人がほんとうの私です。

 

 

 

 


 

 

 

人生は私に、何度も何度も、私に聞いてきてくれていました。

 

 

 

あなたは、あなたの人生で

どんな世界を観たいですか?

 

 

 

あなたは、あなたの人生を

どう生きたいのですか?

 

 

 

人生に追い込まれた私には

もう選択肢が残っていませんでした。

 

人の心にしか。命にしか。

興味を持てない私には

もう自分をごまかせない状況まで追い込まれました。

 

 

その出来事から、私は、どうしようもなくダメダメな自分を知れました。

 

 

ネガティブなイメージに受け取られてしまいそうですが

そうでは全くありません。

 

 

自分が何も見えてはいない

どれほどダメな人だったのかを知れたからこそ

相手を想う人生しか

残されていないことを知りました。

 

 

何も出来ない人だからこそ

相手をしあわせにする為に

もっと。もっと。相手を想い続けたい。

 

 

そのことを知るまでに、時間がかかったけれど

相手をしあわせにする為に、残りの人生を生ききりたい。

 

 

私の生きる人生の歓びは、もうそれしか残されていません。

 

それが確信に変わりました。

 

 

 

 

私にとっては厳しい出来事だと感じていたけれど

今は、また生まれ変わったような清々しいフィーリングを感じています。

 

 

人生で選ぶ道はこれしかないから

私らしい想いで、相手を想い続け関わってゆける。

 

 

 

 

私の本質的な人生の選択を見守り続けてくれた

繋がりあるみなさん。

東京や出雲や福岡にいるたくさんの方たち。

関西に住んでいる方たちも。

 

ほんとうに。ほんとうに。

ありがとう。

 


そして、溺れていることにすら気がつかないようにしていた私を

救いあげてくれたのも

やっぱり、そらさんでした。

 

 

 

みんなと織り成しあう人生は、いくつもの川の流れがつながって

海のように無限に広がってゆくような

大きな人生なんだなと思います。

 

なのに、そこで溺れていてもしかたがない。

 

 

みんなと大きな人生を歩んでゆく

 

この先の私の人生を愉しみに生きていきたい。

 

二度と、見失わないように。

 


 

べつい ちあき

 

 

 

 

 

本質的な叡智のバトンを開催されている

そらさんのブログです。


 

自分を笑うことができたら。