《本質的な叡智のバトン》へ参加しています。
私は、少し前に愛犬を亡くしました。
私にとって愛犬は目に入れても、痛くないぐらい溺愛していたコでした。
どんな時も、いつも愛犬を優先する生活があり
今のお仕事も一人寂しく待つ愛犬(老犬)の事を考え
会社へ申し出て、早めに帰るシフトにしました。
周りからは「ワンコの為に、お仕事時間削るなんて信じられない」と驚かれますが
この選択が私らしいのです。
これは、溺愛しているからではなく
私は、全力で関わろうとする本質が動いていて
それを関わる人みんなにしてしまうことは無理ですから…
特別な存在を決めて全力で関わるのです。
愛犬が亡くなってからずっと…。
哀しみの感情は私の中にいつもいつもありました。
亡くなってからというもの、
哀しみの中にいるフィーリングは離れず
その中でも、
いつも側に居るような愛しいフィーリング訪れる時と
時々スイッチが入ったようにやってくる
とてつもなく苦しい感情の波に振り回されていました。
今回、そのスイッチは何なのか
《この苦しみに、ずっと向き合わなきゃいけないのだろうか?》とゆうことが
バトンに参加する大きなテーマでした。
苦しいならば… 哀しみの感情を消してしまいたい。
でも、消してしまったら、自分らしさを見失うような気さえしました。
そのことを、勇気を出して話すことにしたのです。
何か、強い返事があったら崩れそうな私がいましたが。
そらさんから問われたのは
「愛しいフィーリングも感じるのに、側にいないことが苦しいとゆうのは
何か他に苦しみの原因を掴んでいるんじゃないの?」そう問いかけられました。
「ゲベさんは幸せに亡くなったよね? 彼の問題ではなく
あなたが何かを掴んでるんだよね」と。
そして、こんな話をしてくれました。
そこに参加していたせっちゃんのこと
*詳細は下記をみてくださいね*
「母からのプレゼント」
そしたらね。思いあたる訳です。
私の思考の中にあったのです。
『愛犬を忘れたくない』という強い思い。
それが、「死んだ愛犬ゲベさん」を創り上げていました。
死んだゲベさんの思い出を
思い出しているのだから苦しい。
愛犬を忘れるわけがないのに
忘れない為に形見として、
愛犬の身につけていた物を
持ちたかった自分に気がついてしまったのです。
自分から、「死んだ愛犬ゲベさん」の印象のみを
残そうとしていたのです。
バトン終了後。
家へ帰って、死んだ愛犬にまつわる物を全部捨てました。
もちろん、そらさんは捨てるようにうながしていません。
(私が泣きながら話していても笑いながら暖かく話してくれます)
それからとゆうもの。
苦しみのフィーリングが変化しています。
愛しさはさらに色濃く
優しいあたたかなフィーリングへと変化しています。
言葉で表現することは薄く聞こえるようで、伝えようがないのだけど。
愛犬は最後の息を引き取るまで、私の腕の中で眠るように逝ったこと。
彼は彼の安心する場所で、私に見守られ旅立ちを迎えたこと。
充分に生きてくれたこと。
それは彼にとっても、私にとっても、しあわせな瞬間だったのだなぁと
今あらためて感じます。
立派な犬生涯を送れたのだなぁ。と。
愛犬は私の中にいます。
いなくなっていません。
姿、形はなくても… 形よりもしっかりしたもの。
一生消えないケベさんがはっきりといます。
私から愛犬へ向ける一方通行な
想いの愛しいフィーリングの中に。
私の本質は特別な人がいないと
生きてはゆけません。
この特別は、すごい人とか近い人とか弱い人とか…いうことではありません。
私が全力で関わっても笑ってくれている人、なのです。
そんな私だから、時に、
依存のような動きにカタチとして見えることもあります。
でも、それを笑ってくれて影響を受けないでいてくれる人。
それが私だから。
愛犬の出来事は、目の前の特別な人がいなくなることに
本質がモノ凄く反応するんだということを教えてくれました。
そして、自分が気がつかず握りしめたもので
人生が大きく変わるのだということを教えてくれました。
人間なのだから、感情はあることが自然なのです。
感情の動く激しい波の中にも、
本質は変わらず動き続けているのだなぁ〜ということを知った
今回の《本質的な影響のバトン》でした。
まだ、参加しますが♪
この例は、わたしの本質だから言えることで
他の人に当てはまるかどうかはわかりませんが…
もしも、大切な方を亡くして今も苦しみを感じている方がいるなら
その生きる希望のカケラになればと思い書いてみました。
あなたが生きる希望を持てますように。
べつい ちあき
まだまだ《本質的な影響のバトン》兵庫は続きます。
《 本質的な叡智のバトン 》:全国開催
*そらさんのブログ《そらに》

