加藤憲一市長との出会いは、2016年10月の全国報徳サミット南相馬市大会における自治体交流会の場でした。開催自治体の副市長としてご挨拶させていただき、「復興は大変だと思うけど頑張って」と優しく励ましていただいたことを思い出します。着任して半年の私にはとても心強く響きました。

 

 今回、コメントを寄せる機会をいただき、市長室のホームページを改めてじっくりと拝見しました。そして、当時の市長の言葉がなぜあんなに迫力を伴って胸に響いたのかを知ることとなりました。

 

http://www.city.odawara.kanagawa.jp/mayor/diary/

 

 市長は、ご自分の目で被災地に何が起きているかを確かめ、住民がどんな思いでいるかを直接聞いて、官民問わず、小田原としてできる限りの支援を続けてこられていたのです。よその自治体にいくら関心を持っても、票にはならないのに。

 

 ホームページでは、2013年、そして全国報徳サミット開催直前の2016年夏の被災地訪問記録を読むことができます。

 

 私は、被災地の外から来られた首長さんの中で、加藤市長以外にこんなに被災地の住民の方々と対面でコミュニケーションを深め、本当に意味のある支援とは何かを突き詰めていらっしゃる方は、管見の限り、知りません。地域への洞察力に富んだリアルな記録を読んでいると、被災地に住んで仕事をしていた頃の感覚が甦って思わず胸が熱くなりました。

 

 また、小田原市から被災自治体へ派遣している職員への温かい眼差しも伝わります。記録に登場する南相馬市民は私もよく存じ上げているのですが、小田原からの顔の見えるご支援には皆さん、本当に感謝なさっていました。

 

 さて、私が南相馬市から総務省に戻った2018年には、また小田原市とのご縁をいただいて地方行財政に関する研究会を市役所の協力を得て実施しました。そこから見えてくる小田原市は、必ずしも財政的な余裕がある訳ではない中で、地域コミュニティと市民の「分かち合い」を大切にしている、この先の行末が楽しみなまちでした。

 

 南相馬市は、原発事故により一気に少子高齢化が進み、日本全体の20年後を先取りしたまちだと言われます。人口増や経済成長を追い求める人は多いですが、まちづくりに携わっていて最も大切だと感じたのは、いかに市民のあいだで分断をつくらず、共感の輪を広げていくか、です。

 

 小田原で試みられている「分かち合い」の社会に向けた挑戦は、一地域の取り組みを超えて、一人ひとりがお互いに共感し合いながら暮らしていける、成熟した「優しい」時代をこの国が切り開いていくための鍵になると注目しています。