週刊現代の取材が入りました。
こんな状況ですから電話取材にしていただきました。
当時印象に残っている現場のエピソードは❓
これは、いままで話したことがありません。
私が初めて日活の撮影所でクランクインした時
撮影所のスタッフからのいじめがありました。
独立系映画会社から、メジャーに進出してきた
新人ですから。
これは一種の洗礼みたいなものなのでしょう。
私に対して、マチバはどうなの?って
独立系の映画会社をマチバと呼ぶんです。
差別化して見下した言葉です。
スタッフは笑いながら、
こんな時は、マチバはどうしてる?と
マチバ、マチバを連発します。
2日間は我慢して聞き流していましたが、
3日め、私が休憩中に
カメラの助手が、また聞きます。
マチバはどうなの?
私もう限界です。
堪忍袋の緒が切れて、撮影所内に響きわたるくらいの
大声で怒鳴っていました。
マチバ、マチバと馬鹿にするのもいい加減にして❗
独立系映画会社は規模も小さいし予算だって限りがある。
でもね、映画を愛する気持ちは独立系もメジャーも
変わりはないのよ❗
低予算で仕上げなければならないから、みんなで
知恵をだし合い工夫して、台本の内容も
観客が求めているものを一所懸命に考えて
面白いものを作ってる。
むしろ、その情熱は独立系のほうが上だと思うわ。
私の作品が当たっているのは、
そうしたみんなの努力の結果です。
だから映画館は大入り満員を記録している。
一方、日活はどうなの?
コヤ(映画館)の入りが悪くて、ガラガラじゃないの。
メジャーの映画業界は、低迷期で閑古鳥が鳴いている。
なのに独立系映画会社の私の作品は大入り満員。
だから日活が頭を下げて、私に出演を依頼してきたのよ。
カメラの助手が、主役の私に対して失礼ではないですか?
メジャーとしてのマナーができていません。
私は大映の演技研究所で芝居を学び、
スターシステムで育てられて
映画業界のマナーも充分承知しています。
2度とマチバなどと馬鹿にしたら、
いつでも、やめて帰りますよ。
私、切れてしまいました。
めったに怒ることはないんだけど
付き人は必要ないと断って
一人で日活に乗り込んで行ったから。
事務所の社長からは、もし嫌がらせを受けたり
失礼なことを言われたら、すぐに帰って来いと
言われていました。
騒ぎを聞きつけて
カメラのチーフが飛んで来て、仲に入り
カメラの助手さんの失言を謝りました。
助手さんにも謝ってもらいました。
私も条件付きで許しました。
このあとスタッフ全員が私に対して
2度とマチバという言葉を使わなくなりました。
メジャーデビューの洗礼は、原悦子の武勇伝とともに
翌日、撮影所中に「凄い新人が入って来たぞ。
将来大物になるから大事に育てよう」と
みんなに伝わりました。
デビュー作品「看護婦寮」は、吉永小百合さん以来の
観客動員数を記録しました。
この作品で、日活が復活したきっかけになりました。
日活の映画館は年長さんから、いっきに様変わりして
若者で溢れていました。
これを境に若者が映画館に増えていったんです。
キネマ旬報では、黒沢明と原悦子は映画の
観客動員数を増やした功労者と書いていました。
低迷する映画業界の救世主は、芸術作品、娯楽作品で
若者を映画館に足を運ばせるパワーがある。
2人の魅力は本物だと絶賛されました。
映画館を若者でいっぱいにしたい。
それが私の夢でした。
若者の映画人口を増やす、お手伝いができたことを
誇りに思います。女優になって良かった。
私が頑張れたのも、たくさんのみなさんが
応援してくださったお蔭です。
私にいつもパワーをくれたのはファンのみなさんです。
夢を応援してくださって、ありがとうございます。
感謝しています。
取材は、明日です。
この話が記事になるかは、わかりません。
今日は、この辺で。