不思議な機械と仲良しなボディワーカー「ゴロー」こと、天神貴文です。
ふとしたことがきっかけで、今日はずっとある考えが頭の隅でグルグル回っていました。
自分の中にも多分にあることで、やけに引っかかってしまって・・・
「私は自分をごまかすべきじゃない!」って考えなんですが・・・何についてごまかすべきじゃないのか?まで考えると膨大な考察に膨れ上がりそうですのでここはサラッと・・・(笑)
要は自分を許せないわけです。ごまかしている自分を。
ではこの考えが本当に正しいことなのか?
真剣に向き合うべき大事なテーマであり、生きていくのに欠かせない指標となるようなものなのか?
私が良く用いている「ワーク」という手法で探求してみます。
まずは「自分をごまかすべきじゃない!」と考えているぐらいなんで、現実としては「自分をごまかしている」わけです。自分をごまかしてないのに、「ごまかすべきじゃない!」って考える人はいないはずですから(笑)
つまりあるがままの現実に、異を唱えているわけです。
「だからより良くなろうと考えているんだよ!」って言う考え・向上心などはとりあえず置いといて、「私は自分をごまかすべきじゃない!」って考えは現実に抵抗している考え、つまり真実とは言えない考えとなります。
この場合の真実は「自分をごまかしている」の方が的確に表していると言えます。(ここでは何が良いとか悪いの話ではなく、どっちが現実・真実か?ってお話です)
なのに頭では「私は自分をごまかすべきじゃない!」とさも当然のように考えている(もっと言うと執着している)
こういうのって日常で当たり前のようにやってることですが、気づけてないことだと思います。
自分をごまかすことは、そんなに悪いことなのか?
どんな些細なことでも、全くごまかさない人がどのくらいいるんだろうか?
実は無意識にごまかしたり、愛情あふれるごまかしを気づかずやっていないと言えるのか?
ありのままの私で・・・って最近よく聞きますが、「ごまかす自分」はありのままの自分ではなくて、「ごまかさない自分」こそがありのままの自分なのか?(ありのままって条件付きなのか?)
そもそも記憶や思考からなる自分独自のフィルター越しに世界を見ている私達が、なにもごまかさない、ごまかしていない、などと言えるのかどうか・・・色々と思考が浮かんできて混乱してきます(笑)
しかしながら、どうも「私は自分をごまかすべきじゃない!」って考えは正論のように思えて、実はまったく真実を指し示していない気がしてしまうのは私だけでしょうか?
で、「私は自分をごまかすべきじゃない!」って考えている時の私はどういう感じになっているかというと・・・
1.気負っている、常に自分にチェックを入れていそうだ・・・自分をごまかさないように
2.そう考えながら人に接するときは、緊張していてあまりオープンじゃない気がする・・・ごまかさない自分でいたいし、ごまかさない自分を見せたいし、よく思われたいし
3.あまりリラックスできているとは言えない・・・ごまかすべきじゃないって頑張ってるから
では、「私は自分をごまかすべきじゃない!」なんて考えつきもしない、思いつきもしない私がいると仮定した場合どうかというと・・・(つまり自分をごまかすことが悪いだなんて考えない、思いつかない)
1.なんか楽な感じ・・・ごまかすべきじゃないとか考えつきもしないから
2.その状態で人と接すると楽しそう、どう思われようが気にしない自分でいられそう・・・ごまかすべきじゃないとか考えつきもしないから
3.リラックスできそう・・・ごまかすべきじゃないとか考えつきもしないから
この場合、「でもそれはホントに幸せとは言えなさそう」なんて言葉も浮かんでくるわけですが、それすらも「自分をごまかすべきじゃない!」っと思っているサイドから見た考え方だと思います。
こうして見ていくと「私は自分をごまかすべきじゃない!」って考えて過ごしている時の方が確実にストレスを感じていて、この考えに全く縛られてない時の方がなんか幸せそうです。世間的には「もう自分をごまかさない!」って考えがもてはやされると思いますが・・・
繰り返しますがこれは、ごまかさない方が良いとか悪いの話ではありません。
ごまかさない方が楽で幸せで、そう在りたければそれでOK!
ごまかしてる方が楽で幸せで、そう在りたければそれもOK!
でも悟りを開いた聖者でもない限り、ホントのホントに何もごまかさないで生きている人がこの世にいるのか?って私は思う訳です。
例えば、ごまかしてくれてありがたかったことはなかったですか?
相手を思いやってごまかすことも悪いことなのか?(良いという意味でもなく)
ホントはそんなこと考えもしないでホントの意味であるがままに生きられたらその方が幸せなんじゃないかってことです。
憎まれっ子世にはばかるじゃないですが、憎まれてることすら気にしてない憎まれっ子は最強かもしれません(笑)
でも普通考えちゃいますよね、真面目な方ほど特に・・・
ごまかしている自分に気づいちゃって、自分を責めて、「ごまかすべきじゃない!」って自分にムチを打つ
では本当に「私は自分をごまかすべきじゃない!」という考えを信じて生きていっていいものなのか?
この先の人生を捧げるに値する考えなのか?
置き換えという手法で探求してみます。置き換えによって、今まで真実と思っていた考えの中に隠されていた、本当の自分の姿を見つけることができます。
「私は自分をごまかすべきじゃない!」これを真逆の意味に置き換えてみると・・・「私は自分をごまかしても良い!」
これは私にとって既に今までやってきたことであり真実であるとも言えます。意識的だろうが無意識的だろうが、相手を欺くためだろうが、相手を思いやるためだろうが、これまでの人生で数えられないくらい様々な「ごまかし」をとても上手に行ってきたと言えます。もしかしたら「ごまかしのプロ」と言えるかもしれません(笑)
残念ながら「あるがままの自分」とも言えます。
では「私は自分をごまかすべきじゃない!」これを、他人に置き換えてみると・・・「私は人(他人)をごまかすべきじゃない!」
これも私にとって真実と言える気がします。「私は自分をごまかすべきじゃない!」って良く考えていますが、よくよく考えると他人をごまかしていると言えないでしょうか?(当然ながらごまかせない方もいますが・・・)
大体ほとんど全て、他人から、世間から良く思われたいなどの思い・考えから自分をごまかしてよく見せようとしている訳ですよね。
「私はもう自分をごまかさない!」って言うと何かカッコもいいし、「頑張れよっ!」って応援されそうですが、
「私はもう他人をごまかさないようにします」って言われると、「おいおい!そりゃそうだろ!、もしかして騙してたの?」なんて話にもなりそうです。
実は他人をごまかしていた罪悪感なんかも背景にあるかもしれません。それをごまかすために「自分をごまかすべきじゃない!」なんてカッコつけてたのかもしれません・・・Wのごまかし
要するに「私は人(他人)をごまかすべきじゃない!」っていうのもかなり真実を言っていると思います。
次に「私は自分をごまかすべきじゃない!」これを、「私の考え」という言葉に置き換えてみると・・・「私の考えは自分をごまかすべきじゃない!」
私のことをごまかしている真犯人は誰なんでしょうか?
私が私をごまかす?・・・では「ごまかした私」と、「ごまかされた私」のうち「ホントの私」はどっちなんでしょうか?・・・潜在意識がうんたらかんたらって心の声も浮かんできますが、潜在意識は顕在意識のように混乱はしているのか???。
ごまかすことを良しとしない「私」は、「ごまかした私」と、「ごまかされた私」のどっちなんでしょうか?それとも「全く別の私」がいて許せてないのでしょうか?
もう何がなんだか分からなくなってきそうです(笑)
結局「自分をごまかしている」というのもただの私の考え(思考)ですし、「自分をごまかすべきじゃない」というのもただの私の考え(思考)です。
そしてどちらかと言われると「自分をごまかしている」って方があるがままの真実であり、「自分をごまかすべきじゃない」なんてのは言い訳だったり、カッコ付けだったり、それによって自分の何かを守ろうとする口実なのかもしれません・・・
自分にとってあるがままの真実を無視して、偽りの考えを信じようとするから苦しむのか・・・
自分を混乱の淵に陥れて苦しめているのは、実は現実に反する「ただの考え」であり
その考えは絶対的な真実とはとても言えそうになく(正しいと思いたいみたいですが・・・)
その考えに執着してる時の私は、実はすごくストレスを感じており
その考えを思いつきもしない時の私は、憎まれるかもしれませんが結構幸せだったりします(笑)
つまり「自分の考え」こそが、自分をごまかしている真犯人であると言えないでしょうか?
ホントはごまかしている犯人が、「自分をごまかすべきじゃないよっ!、頑張るんだよ!」ってささやいている姿が浮かんできます(苦笑)
最後にもうひとつの置き換え・・・「私は私の考えをごまかすべきじゃない!」
この自分自身を苦しめてストレスに晒している「考え」をこれまでほったらかしにして、ごまかし放題やらせていたのはどこの誰でしょうか?
その結果傷ついたのは他ならぬ自分自身なのにこれからもほっといていいのでしょうか?
いや別に「私は自分をごまかすべきじゃない!」って自分に鞭打って生きるのが好きな方はいいでしょうけど、その意味することのバカバカしさを知ってしまった私には、なんて無駄なことにエネルギーを注いで生きてきたのだろうと感じてしまいます。
こうやって探求してみると、真実だと、正しいことだと思ってた概念が崩れて、思わぬことにも真実味があふれていることに気付かされます・・・なのに偏った見方しか出来ていなかった自分(涙)
「じゃあ、これからどうすれば?、何をすべきだろうか?」って思考はすぐに騒ぎ出すわけですが、
どうするもなにも・・・、何をすべきも何も・・・、止めればいいだけです(笑)
ただその「考え」に気づいたら止める・・・それだけです。
昔は「それがなかなか止められない」とか「どうやったら止められるんどう?」とか思ってた時期もありましたが、今思うとただ腑に落ちてなかっただけだと思います。頭で理解しようとしていたから分からなかったのかも・・・
今となってはほとほと疲れてきました・・・もううんざりなんです(苦笑)。
そもそも何もごまかさないで生きるなんて私には無理なんです(笑)
ていうかすみません、ごまかしたいのかもしれません。
そんな細かいことを一々気にせずに、ごまかしたい時はごまかすし、ごまかしたくない時はごまかさない、そんな風に生きれたら・・・
ずっと「どうすれば~」とか「どうなったら~」って考えて生きてきましたが、やるべきこと、考えるべきことが増えるだけで結局「キャパオーバー」でおかしくなってるんだと思います。
これからは、やらないこと!、頑張らないこと!・・・これを心がけたいと思います。
頑張らないって言っても、なにもしない訳ではないですから!
実際、頭で「ごまかすべきじゃない!」って考えている時ほどしんどくて、すご~く思考を巡らせているように思えて実はなにも解決してないことは経験上わかっています。
それよりは、「あぁ~、なんか今自分をごまかしてるな~」って気づいたら、この探求を思い出します。
そして「自分をごまかすべきじゃない!」なんて思い始めた日にゃ~、それがもたらす結果がいかにバカバカしいことか、どえだけ苦しめられたことかを思い出し、そういう自分を客観的に見つめて笑ってあげようと思います。
「ま~たそれ(ごまかす/ごまかさない)繰り返すの?、そんなに好きならどうぞどうぞ!」って
いかに自分が混乱した思考のなかで、あるがままの現実を見ようとせずに生きてきたのか?
私にとって「あるがままの私」とはなんなのか?
朧げながら、少しづつ見えてきた感じがしています。
きっかけをくれた出会いに心より感謝いたしますm(_ _)m
最後までお読み下さり、ありがとうございました。
Repattern ~リパターン~
~心身の慢性的な不調でお悩みのあなたへ~
新しい選択肢を見つけていただくことで、あなたの人生の再構築をリパターンがお手伝いします。
◆施術コース一覧
◆アクセス
◆お客様のご感想・改善例
【ご予約・お問い合わせ】
☎ 090-8364-7329 (1クリックでかかります。着信をつけていただければ、折り返しお電話致します。)
◆24時間受付お申し込みフォームから予約する
◆ お問い合わせ
【住所】 滋賀県湖南市石部中央4丁目3-34-2
【営業時間】 9:00~20:00最終受付
【定休日】 月曜日・特定日
【駐車場】あり ※JR草津線石部駅より送迎あり