neither of us can see
何時間眠っていただろう、
徹夜をあけて、昼から眠り続けた、
起きたらスーパーサッカーが始まるちょい前だった、
何故か「間に合った」って思った、
完全に寝ぼけてる自分がいました、、
メールがたくさん来ていた、
MLやら、
昔からの友人やら、
今日一緒にいる予定だった相手やら、
ここに書いても届かないけど、ごめんなさい、
でも分かってくれ、、ホント眠かった、、
生と死の二項対立は、
生を前提とすれば、死は圧倒する恐怖で、
死を前提とすれば、生は奇跡としか言いようがない、
そんなありふれた記述を僕は思い出す、
奇跡たる生への認識は死の恐怖を強め、
死への恐怖は生への感謝を生む、
互いが互いをドライヴする、
そんな様相を思い浮かべればよいのでしょう、
それに賛成する僕は思うのです、
そう、だから、僕は宗教が嫌いなのだ、
軽んじているのは、いったい誰だろうか、
目を逸らすなよ、現状に、
なんか曖昧に安心してる感じ、よくないと思う、
彼らの側の論理としては、
「今生きてる状態を励む」ことが要件となっているのだろうけど、
それでも曖昧な安心を不用意に与えんのはよくないと思う、
それこそ伝統が根拠なんて、つまらない、意味わかんない、
もっと死を怖がって、
もっと生にしがみついて、
ってした方が絶対よくやれるし、もっと人に優しくなれると思うけど、
まぁでも、どうなんだろ、
うーん、
このようにして降る思考に、
憂鬱な珈琲を飲みながら、うだうだと、
活動を一旦放棄して、
とりあえず新曲の完成を、
なんかすっげぇ温かい曲ができた、
んで、さっきから、
どっかで聴いたことがある曲だったらどうしようと、
iTunesの曲聴きまくってる、けど、
たぶんどこにもない、たぶん、
エリオットスミスでもない、バンプさんでもない、
ゴーイングでもない、ジョンフルシアンテでも、ない、
でも雰囲気はパールジャムなんだけど、
でも彼らはヴォーカルの声前提だ、よね、
今でも一番かっこいいアメリカ人はエディヴェダーだと思うし、
ニルヴァーナのカートに対しても肯定的だったし、
あ、アンプラグドのoh, meみたいなのいい、
ヒップホップ?
なんじゃそれ、
…嘘、
でも他のも好き、ポップなのも好き、
愛し(かなし)
崩れ落ちそうなほどの眠気と空腹とを引き連れて歩く午後9時、
ここが護国寺なら韻でも踏んだろうに、
意味や意義を問われでもしたら僕は崩れ消えてしまいそうだけど、
儚くともこれで満たされている、
あぁ、満たしたいものだ、
自分で選択した挙動や自分で選択できた空気はいつだって心地よい、
大切にしたい日常、穏やかな日常、
こんな日はただぼんやりと歩く、
投げやりとはぼんやりすら投げ打ってしまうスタンスだろう、
やばい、ゼンゼン上手くねぇ、
でもそれは眠気と空腹に仮託して、
今はぼんやりと、されど常に真っ直ぐを見据えている、
それだけは自信を持って言える、
follow
[(自己)修飾活動のメタファする交話性]
今日もまた彼らから、次の指示が与えられた、
とりあえず人質を救いたいから、僕は進むだろう、
だが、途上に立ち行く疑問に目を閉ざしているのは、気付いている、
僕は気付いているのだ、
果たして、指示を守れば人質を殺さないでいてくれるのか、
そもそも人質に、時間と精神を注いで助ける価値があるのだろうか、
ただ、僕は気付いてもいる、
人質と自己は、欲望と充足の有り触れた共犯関係にいるのだ、
だから僕は、警察には報せない、
自分の力で助けたいのだ、
てなわけで、こんなメタファで訴えたくもなる、
だから目を開かないのだ、
だって、だってなんだもん、
リクなんとかと対峙すると、
陸にいる気がまったくしなくなる、
bounce it more,
あぁ、、
「果たしてこれを埋めるほどこのそれに入りたいのか」
という疑念が毎回立ち現れることに、
問題の一端はありそうだ、
てゆか人に伝えるための文章を書くのってしんどいっすね、
てゆか人に何かを伝えるのって、しんどいっすね、
それはもう綺麗で、驚いた、
善い、皆枯らそ
contingent upon
食べられますか?
おいしいですか?
ところで22日っていつですか?
とにかく僕らは、前を向かなければならない、目の前にないとき、それらはいつだって決定不能であり、思考を拡散することは不毛だ、intertextualityを飲み込んだ今、それは、関与の権利をもたない、つまりそのような段階の前に時間留保のアドバンを呈示するため、ゆったりとたくさんの思考が必要だ、推敲を遂行、が延々と、
そもそも、僕らには、ゲシュタルト的思考が必要なのかもしれない、「結ぶ思考」と名付けよう、つまり、崩壊し続けるゲシュタルトと対峙し続けるには、自己に対してある種のスノッブが必要とされるわけで、[無思考という思考]が、必要とされている、
そしてそれはアルコール的コミットと等価に配分されるべきそれだ、という気もしないでもない、ではその両方を両の手に、就職なんとかやらとともに飲み干せ、頑張って社会性を手にし、社会に貢献しよう、したい、そうしよー、だとか、
とはいえ、存在している言語体系に、ただ僕らの脳が適応しているだけであって、僕らが死んでも、行われた言語行為が死ぬわけではない、ってゆう、安定感は、人にはビルトインされている、というそれは少しだけあるけど、でもやっぱ憂鬱に神経の体系はデザインされている、もう少し楽に生きればいいじゃない、ユーがキャンならDOすればいいじゃない、
UがCanならDOすればいいじゃない、まったく、oh me、、
加速する、蛇足する、それは意味を失うただの倒錯
神経系は、汎化を経て曖昧を僕に手渡すが、ロジックはいつも通りまるで役に立たない、挙動関数の算出ができない、足して、消して、挿入して、忘れて、思考空間へと消去そのものの消去そのものの消去そのものの壮挙そのものに関する有名な言説を拾い上げるが、'淘汰は倫理と無関係のプロセスである'、無感覚の効用が入り乱れていて不安で、逃避をスタンスしすぎているのかも知れない、「リアルであれ」の地平では、触れてしまえるんじゃないかってぐらい感情はリアルで、厭世より増しな猜疑に僕は満足し、感覚を対象に接続し、物体Aとしてのメッセンジャーがまるでワンクリックで立ち上げられたようなコミュニケーション開始、つまり目を開けただけなのだが、そこは白い世界、とても綺麗な世界、現実と乖離したみたいに輝いていて、悔しくて僕は深く俯いた、雪の冷たさに、目を覚まされながら、僕はただ笑っていた、本当は、穏やかな日だったのかもしれない、忙しさを消す、穏やかな日だったのかもしれない、鈍い痛みを消す、穏やかな夜だったのかもしれない、温かい珈琲は、僕の手を温め、握った雪は、それ以上に温め、それは加速する、蛇足する、それは意味を失うただの倒錯、雪の灯咲く
踊れ、
渋谷最前線歩行中止、音しかない世界の、ある証明、価値観よ踊れ、
とかく、脱構築はアンタイとしてのテーゼでしかなく、善/悪や生/死やそのそれやあのあれの二項対立を脱構築することなど、時間軸上にしか有り得ない僕らにとって、自明であり、まるでカウンタプランを明確しない、どこかのパーティみたいだ、so whatで片付けられる話を延々と、さも丁重な儀式のように、始めから上も下も善いも悪いもない、そこではただ価値観が躍っているだけである、
ならば平和に躍ろうぜ、って話ではなかろうか、相入れぬ主体の相入れぬ解釈が衝突し、主義者が両者の決定不能を提せども、それで脱構築が歓喜し、構造を主義するスタンスが崩壊を嘆いても、だからなんなのだ、すべては連続し、明日にはまた違う解釈を迎える、たった21年の日々でもそれくらいとっくに気付いている、確かなのは、そんなことは、煙るここ渋谷には関係しない、ことぐらいで、記憶が確かなら、ミラーはそもそもの脱構築を前提とし、カウンタ解釈を捜し、決定不能を叫び、記憶が確かなら、デリダは階層を懐疑し、脱構築した、されど声高な哀しみは、へらへらした騒音に無残にも消された、誰もが、何一つ言わなくても解っていたのだ、僕もまた戦争や醜さへの憤りを忘れ、ここ日本の平和に、景色が全景され、異化され、新鮮で神聖な挨拶を繰り返す価値観が、躍る、べきだ、
一.謝罪と感謝と、感謝を、
一.穏やかに、日を終え、穏やかに、明日を期す、
一.言葉にして薄めたくない自己内部の抽象体を、身体性に、
またKurtのDVDが出てる、パブリッシュされたという前提事象の現象後たる<今、我>としては見たいけど、それはなんか違うなぁ、と、

