今日も煙草を1本
15階のベランダで吸っている
頬に当たる風全てが春の風だと感じるほど
今日の夜は淀みなく、そしてどこか温かい

不意に20歳の時を思い出した
娘と重ねたのだと思う

あの時僕の友達に悪性リンパ腫にかかった友がいた かかるという言い方が正しいのか否かは分からないが
首のむくみで気づいたという事だったと思う

そいつとはよく一緒に飯を食いに行くほど仲が良かった
僕の数少ない友達の1人だ
今も時々会う

横浜の繁華街で一緒に飯を食べている時に
告げられた

もうしばらく飯は食えない
悪性リンパ腫になった
辛い

その日はその飯の味がその瞬間から感じられなくなったことをよく覚えている
多分彼女は最初から味がしていなかったのではと思う
声のかけ方はもちろん分からない
頑張れとか
大丈夫だろとか
そんな事は言えなかった

そうか

としか声がけかけられなかった事を今も覚えている
帰ってすぐ悪性リンパ腫について調べた
その時の死亡率は20%ぐらいということしか
覚えていない
ご老人も含めこの死亡率なので彼女の死亡率はもう少し低かったのではと思う

そのあと彼女は入院をした
最初の1ヶ月程度入院をし、
その後半年程度 抗がん剤の治療を続けていた
と思う
何度か見舞いに行った

声の掛け方はわからないから
本当にどうでもいい事を話していたと思う


見るからに顔が白く痩せ細り
髪の毛が抜けていく彼女を見るのは
僕にはかなり辛かった
恋愛感情など彼女に微塵も抱いた事はなかったが
夜ふとした時に電話で話したくなるくらいには気になっていた
生きているのだろうか?
悪化していないかな?

1年くらい経ってその病気にかかっていたことが嘘かのように彼女は寛解した
再発の可能性も少ないと
医師から告げられたらしい

その時もう1度
あの飯屋に行った
味がしなくなった飯屋に2人で足を運んだ

あの時なんて言えばよかった?

そう聞いてみた

頑張れって言って欲しかったと
彼女は言った

人は辛い時他人の温もりを欲しがる生き物なんだよ
どんな些細な言葉でも辛い時声を掛けられると
嬉しいんだよって

僕は少し後悔した
1番初めに思い付いた言葉を言えなかった事を

ありがとう
ごめんね
おはよう
おやすみ
頑張れ
大丈夫

こんな些細な言葉が透明な水に綺麗な絵の具を注いだかのように誰かの心を綺麗な色に出来ることを今一度心に留めた

娘が帰ってきた
いつもより少し元気に

ただいま!
我が娘よ

とどこかおかしく言ってみた

なんでそんな嬉しそうやねん

と娘はいつもより笑っていた