あれが阿多多羅山
あの光るのが阿武隈川

智恵子抄  “樹下の二人”より


高村智恵子の故郷は、私の故郷。
父の日。福島へ父のお墓参りに行って来ました。


阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青ゐ空が
智恵子のほんとの空だといふ

“あどけない話”より



父は3年前に肺気腫のため、彼の岸へと旅立ちました。78歳。
難病でした。優しかった父を想うといつでも涙が出ます。
まるでハリウッド女優のように…


積極的な治療をやめて10日後…
父は大きく深呼吸をして、母に向かって首を縦にうなずき、天然の素中へゆっくりと帰りました。

もし願いが叶うなら、もう一度だけ、父と話がしたいのです…

危篤時、酸素マスクをしながら、私に何か言いました。
「来てくれてありがとう」と言いたかったの?

それとも「頑張りなさい。九州で強く生きなさい」と?


“わたし  もうぢき駄目になる”
涙にぬれた手に山風が冷たく触れる
わたくしは黙つて妻の姿に見入る

“山麓の二人”より


高村智恵子は、無垢純粋で、曖昧や妥協をを許しませんでした。
心にいつも弦が張っていて、緊張に耐えきれず、脳細胞が破れたのです。
清浄さゆえに、生涯の破綻へと向かったのです。
何という人生なのでしょう…


智恵子の美しい切抜絵


智恵子は光太郎に純愛を貫き
光太郎は智恵子に献身的に愛を注いだ

明治から昭和初期の壮絶なロマンス

文豪と呼ばれる作家達に、私は幾度心うたれたことでしょうか…



今、私は智恵子の空を背に自宅へと帰っています。
ころとねねが待ってます。
あの子達、仲良くしてたかな…